つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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福島香織『中国複合汚染の正体』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
         


グローバリゼーションが叫ばれる数十億年前から、地球の大気も海もひと続きにつながっている。「国民国家」の定める国境とは無関係に、大気も水も移動し続け、汚染は世界中へと希釈されながら拡散する。さらに輸出入に伴い、ある国の物資は他の国へと移動し、もしもその物資が汚染されたものであるなら、否応なく汚染された物資、とりわけ食料もまた他の国へと移動し、その国内で消費されることになる。

だから、我が身かわいさというエゴイスティックな視点から見ても、中国における汚染を他人事のように眺めたり、一部の人のように喜んだりするということは、個人のサバイバル上、好ましくないのは言うまでもない。

それなら、ここはかつて高度成長期に多くの公害を発生させ、多大な犠牲を住民と社会全体払いながら克服した国として、蓄積された様々なノウハウを中国へ移植させ、汚染の問題を解消させることができれば、我々も安心して生活できるし、かの国の住民にとっても、国家にとってもプラスになるであろうという美しい物語が浮上する。しかし、事はそう単純には解決しない、その理由も複合的であるというのが、福島香織『中国複合汚染の正体』(扶桑社)の主張である。

汚染の問題は、民族の紛争と並んで、国家が報道を忌避し、隠蔽したがる問題の最たるものである。日本国内にいて得られる情報は、そうした国家による検閲フィルターをすり抜けたほんの一部にすぎない。やはり、重要なのは現地で得られる一次情報である。そのためならば、多少のリスクを冒しても、現地に飛ぶというのが著者の一貫したスタンスである。

できれば国際社会に対して、汚染の実態を隠したい国家が存在する。しかし、それが唯一の敵、障害ではない。地方で産業の中心となるような企業は、地方の役人や官庁と結託しているのが普通だ。地方の問題は実態が伝えられ社会的に大きな話題となると、中央も動かざるをえない。企業もペナルティを食らうか、様々な犠牲を払うことを強いられる。そこに金銭授受などの汚職がからむなら、地方の役人も安閑とはしていられない。だから、実態を報道されることを嫌う。住民はというと、そうしたとばっちりを受けたくないがゆえに、内心多くの不満や怒りを蓄積させながらも、沈黙しようとする。しかし、忍耐にも限度がある。かつての美しい環境が変わり果て、自分の家族や親戚、近隣の住人が次々に病にかかり、死んでゆくなら、もはや黙っているわけにはゆかない。外国人ジャーナリストが取材し、報道し、問題が表面化し、改善への動き起こることを心の中で待ち望んでいるのである。

著者福島香織が取材に赴くのは、まさにこのような社会のまっただ中へである。

外国人ジャーナリストらによる中国の調査報道は、中国中枢部の恐れる最たるものである。無名の人間なら初期のうちはノーマークということもあるかも知れないが、実名で著作や文章をメディアに発表し続ける人間がノーマークということはありえない。だから、著者も様々な工夫を払う。当然のことながら、本名や立場を明らかにしながらということはめったにない。『中国の女』の中では、著者はエイズ村へと侵入する際、下手な中国が怪しまれないためモンゴル人の作家小胡(シャオフー)を名乗った。

今回の取材で著者は偽名を使うことなく、日本人観光客を装う。しかし、汚染された川や工場の写真撮影はたちまち怪しまれて、二度にわたり著者は拘束されてしまう。一度は運悪く鎮政府の書記に目撃されてしまったことだ。連れてゆかれた執務室からいったん抜け出すものの、ハイヤーが高級車だったためたちまち連れ戻されてしまう。

山東州への取材では工場の撮影後、パトカーに後をつけられた。どうやら、ウイグル族の女性に間違えられたらしい。連れてゆかれたホテルでは、ドタバタ喜劇のような場面が繰り広げられる。
若い警官:こいつ、ウイグル人ですよ。
著者:ウイグル人ちゃう、日本人や。誰か英語話せんのか。
若い警官:こいつ、工場の写真撮っとったんや。怪しいやつや。
著者:あやしくないよ、日本人ツーリストよ。
年配の警官:ワシ、英語わかるで。ツーと言っとるから、中国へは二回目らしい。
(周囲)おー!ホンマに英語わかるんや。
(著者)(アホかいな・・・)
若い警官:そやけど、こいつ工場の写真撮っとたで。怪しいやないか。
女性の警官:ワタシ、日本語少しわかりますね。ああ言ってますけど。
著者:どこに工場の写真が写っとるんや。見てみい。
(カメラの液晶に写るのは、農村の女性がおーよしよしと赤ん坊をあやし、牛がモ〜と鳴き、アヒルがガアガアと鳴きながら歩いている)
女性の警官:・・・やっぱりただの観光客みたいですね。
若い警官:そんな、アホな・・・
(以上は、本文の超訳です)

著者は撮影直後にSDカードをすり替えておいたのだ。そんなヒヤヒヤするような展開も、現地取材を敢行する著者の真骨頂である。

本書で著者が取材に赴いたのは一つの場所ではない。ガン村の取材で江南省へ、地下水の汚染問題では山東省へ、カドミウム汚染米の問題では広州近郊へ、野菜の汚染問題では江蘇州へと赴いている。

そうした取材の結果明らかになったのは、単純でない複合汚染の実態である。
●北京のPM2.50に代表される都市型複合汚染は、単一の発生源によるものではなく、自動車の排ガス、石炭等の燃焼、工事の粉塵、周辺からの越境汚染、およびそれらの二次生成粒子によるものと考えられる。
●依然として、環境よりも経済発展を優先する体質が地方の住民の間にも存在する。
●地方の企業と、地方政府が結託し汚染の実態が隠そうとする体質が存在する。実態が明るみになって、補償が行われても見舞金が払われるだけで、事態そのものは改善されない。
●汚染の発生源となる工場を地方へと押し付ける都市部との対立、貧富の差の問題が根源に存在する。北京でのPM2.50の問題はもはや地方にのみ汚染を押しとどめられなくなり、都市部へと逆流した結果というべきである。
●汚染対策の浄水器や火力発電所の脱硫装置が導入されても、厳しすぎる基準や経済的理由で実際に稼働される率はきわめて低い。
●公害を巡る公益訴訟で原告側が勝訴するのは、原告が検察や行政の場合に限られ、民間が勝訴することはありえない。被告が行政側にある場合、勝訴の可能性はゼロである。

中国政府は、2013年に「大気汚染防止行動計画」という十ヶ条の対策を発表した。それは産業構造の改善、科学的技術革新の加速、クリーンエネルギーの導入、省エネ、市場メカニズム、法令体制、地域協力、大気の監視警報体制、政府企業の責任と全人民の動員という包括的・総合的なものであるが、それが文字通り実行され、事態が改善されるかに関して著者は懐疑的である。

専門家の中には、PM2.50のピークが10年後になるのではないかと予測する者もいる。それはことによると、中国国内にとどまらず、全人類的な悲劇にさえつながりかけないと著者は警告する。日本が公害から抜け出せたのも、実は中国へ多くの工場を移転させたことが大きい。現在もその恩恵に與っている一方で、米の加工品に含まれるカドミウムのように検査をすりぬけ、汚染された食品が我々の食卓へ運ばれる可能性もないわけではない。加害・被害の双方で、この国の経済や我々の生活と直結しているのが中国の複合汚染である。政治的モヤモヤを払拭して、事態改善へと協力すべき時期に来ているのではなかろうか。

関連ページ:
福島香織『中国「反日デモ」の深層』
福島香織『中国のマスゴミ』
福島香織『中国の女』

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