原田久仁信・増田俊也『KIMURA 2』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
だから負けたんじゃ!
勝負事は一寸先は闇!
早く勝ちたかったんじゃろ!
それはお前のやさしさなのかもしれんが
その油断があの勇み足だ
(『KIMURA 2』p16)
そんでんあん子はやさしか
バカが付くほどお人好しばい
そいが心配なんたい!
(同上、p36)
原田久仁信・増田俊也『KIMURA 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか Vol.2』(双葉社)では、木村政彦の小・中学生時代を描かれる。
[簡略ですが、以下の記述にはネタバレを多数含みます]
熊本小学校相撲大会で優勝した木村政彦は、全九州の大会へと出場する。大外刈りを武器にそこでも破竹の快進撃を続けるのであったが・・・
その活躍に注目した男がいた。鎮西中の柔道顧問である小川信雄である。
天から降って湧いたようなエリートコースへの誘いであったが、木村家は貧しく、家計の厳しさを知り尽くしている政彦は悶々と悩む。
折しも1931年、満州事変の勃発するころであった。
何とか鎮西中の柔道部へと入部できた政彦だが、容赦のない先輩の洗礼が待ち受けていた。大外刈り一本では非力。それでも、砂利すくいで鍛えた足腰の強さで一気に周囲の注目を集める彼のことを心よく思わない人間も少なくなかった。
二年前の天覧試合の全日本柔道大会で優勝を逃した牛島辰熊は、決死の覚悟で上京することになる。
もっと強くなりたい。郷里の英雄牛島の旅立ちに刺激されて、政彦もある選択をする。命のやりとりを前提にした大人の勝負の世界の洗礼が彼に容赦なく降り注ぐ。さらに、寝技への引き込みから入る高専柔道との出会い・・・
木村は一日にしてならず。いくら足腰が強いからと言って、それだけでのし上がられるほど柔道の世界は甘いものではなかった。壁、また壁が、次々に立ちはだかる。
そんな中でも、周囲の人が異口同音に指摘するのが政彦の心のやさしさだった。喧嘩が好きなわけでも、滅法強いわけではない。「鬼の柔道」とはほど遠いところに、十代半ばの木村政彦はいる。
原田久仁信の画は、リアルに、しかし人間への深い愛情を持って、1930年代の人々の姿を、そして街や風景をいきいきと描き出す。まるで、昭和のころの良質のモノクロ映画を見るかのような臨場感。
多くの人との出会いと様々な軋轢葛藤の中で、木村政彦も生き延びながら、自らを練磨し続けてきた。『KIMURA 2』で描かれるのは、神格化された英雄ではなく、多感な感情に翻弄される一人の青年の等身大の肖像である。
関連ページ:
増田俊也・原田久仁信『KIMURA』0&1