つぶやきコミューン

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福島香織『中国「反日デモ」の深層』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本

 ただし、これが反日デモではない、と言ったものの、「反日デモ」という看板で起こる集団事件はその後、頻発していくことになる。やはり「反日」というのは、中国において免罪符的な要素があるのだ。デモを許す側の当局側にとっても、デモに参加する民衆側も同じである。デモに参加する側が、矛先を中央に向けることはいまだ不可能で、だからこそ地方政府をターゲットにした集団抗議が多いわけだが、中央政府が全面的に地方政府を擁護する姿勢を見せれば、民衆のデモ行為は中央にたてついた政権転覆行為とみなされかねない。しかし矛先を日本としておくと政権転覆煽動罪にはならない。しかも、2012年の日中関係の悪化ぶりを見れば、日本を標的にしておけば「愛国無罪」の言い訳ができる。 
 デモで責められる地方政府にとっても、自分たちが悪いのではなく、日本や日系企業の責任と言い訳ができる。デモの本質が「維権」「民主」あるいは「人民の不満の爆発」であっても、「反日」の皮をかぶることはあるのだ。しかし、これは日本側にとって反日リスクというより、”民意・民主リスク”と言うべきだろう。
(『中国「反日デモ」の深層』pp218-219)



中国の情勢は、日々刻々に変化している。それについて書かれた本が出版された時には、すでにその記述が有効でない部分も出てくる。しかし、中国社会の本質は一朝一夕では変わらない。

福島香織氏の『中国「反日デモ」の深層』(扶桑社新書)は、その年に起こったデモを中心に、2012年末に出版された本であるが、今なお十分な鮮度と射程を持った良書である。

福島香織氏の著作に関しては、いささかその扱いが気の毒な状況にある。嫌韓・嫌中のコーナーにあっさりと分類されてしまうのである。どれだけ自由を希求してやまない中国の文化人や民衆に寄り添った記事を書こうとも、売れるので中国の攻撃材料さえ見つければよいという本と同列に扱われてしまう。

見分け方は簡単である。他の国においてよくないものは、この国においてもよくない。それが真実の報道の姿勢である。他の国においてよくないものを、この国においては認めるべきだというダブルスタンダードを持っている論者は、信頼するに値しない。同様に、自ら身体を張り、どこまで真相に迫っているかが第二の評価のポイントである。他人の与える二次情報を加工するのみの記事とは、多くの場合、意図的に流されるソース自体への懐疑主義的スタンスが欠けているし、脳内中国・脳内韓国のイメージの上に、好みの情報を編集しているにすぎないのである。

自由と民主主義の原則へのリスペクトと一次情報に対するあくなき希求という二点をクリアしている福島氏の本は、他の凡庸な著者とは一線を画するものであり、立場の左右にかかわらず、熟読に値する稀有のソースであると言えるだろう。

表題となっている中国「反日デモ」に関わる記述、「反日デモ」の実態は、本書の構成上最後の第四章に配置されている。

第一章迫害される反体制派たち、第二章が中国に”革命”は起こるか、第三章は熾烈な政治的暗闘となっている。これらは異なるトピックを羅列したのではなく、相互に有機的なつながりを持っており、この前提条件となる知識抜きには、「反日デモ」を深層まで読み取ることは不可能だろう。

中国における文化人や弁護士、ジャーナリストに対する締めつけ、弾圧はこのところ一層厳しくなっている。それまでは、ここまでは大丈夫という一種のお約束があり、そのラインを超えないような絶妙な綱渡りを続けることができたのだが、その安全ラインがいともたやすく超えられ、身柄拘束や拷問と言った過酷な目に遭う人々が増えている。それでも国内にとどまり妥協の中情報発信を続けるか、国内への影響力を失いながらでも海外で生き延び、自由を謳歌しながら言論活動を継続し国際社会に訴えるかという二者択一を、彼らは強いられているというのが、第一章の概要である。

 国内外で「目立つ」ことは長らく自分を守るすべのひとつだった。しかし、今の中国当局は、そういう目立つ人物に対して”お目こぼし”“例外”を認める余裕すらなくなってきた。pp16-17

第二章では、中国版ツイッターと言える新浪微博の波がどこまで新しい政治の動きを変えるかという問題から始まる。しかし、その後に続く厳しい取り締まりは決して楽観を許すものではない。チベットに対する弾圧も熾烈を極め、それに対する十分な報道もなされない現状下で、一体焼身自殺の以外のどのようなプロテストが可能なのか、暗澹たる思いに駆られるが、著者はむしろ抵抗運動が激しくなることを中国政府は望んでいるのではないかという疑問を提示する。このグローバル時代に、本気で海外と揉め事を起こさないためには、国内の矛先が必要だという論理である。官民衝突の実例は、中国政府に対し、微博への脅威を教え、そのため一層ネットに対する締めつけも厳しいものとなった。国内に渦巻く様々な不安な要素に対し、性急な舵取りを強いられている中国政府の苦境が伺われる。香港で普通選挙が行われる2017年が大きなターニングポイントになるのではないか。

 中国共産党にとっての喫緊のテーマは、社会への不満をくすぶらせている大衆が、誰か民主化の旗を振り上げるリーダーに先導されてわっと立ち上がることをいかに防ぐか、ということだといわれている。中国当局が過剰なまでに、人権派弁護士や民主化運動家、宗教家を監視、迫害し、最終的には国外へ排除(亡命)しようとしているのはそのためだ。
p142

第三章では、国内の大きな変化の背景に必ず存在する権力闘争と関わりを大きく取り上げる。政変が起こる時にまず行われるのは、既得権益層の汚職の告発や思想的な変節への攻撃がある。大きな利害の対立関係があって、初めて大義名分のもとに、粛清が行われるのである。その代表例として、「重慶モデル」による大胆な経済改革が未完に終わった薄熙来の失脚に至る経緯とその妻谷開来の告発が例として挙げられる。革命家の血筋に生まれ、敏腕弁護士として名を上げながらも、夫の美人キャスターの愛人関係に狂い、最後は英国人ヘイウッドの殺人にまで至った谷の波瀾万丈の半生は、漫画の原作にできそうなくらい面白い。その姿は、かつての文化大革命の江青女史の姿を彷彿させる。

 2人とも、人がうらやむほどの美貌と才能とチャンスに恵まれながらも、それで満足できず飽くなき野心と欲望を制御できずに他人を巻き込みながら自滅する中国悪女の典型だ。p191

第四章「反日デモ」の実態では、2012年8月19日と9月15日以降に起こった二つのデモの性質の違いに著者は注目する。最初のデモは、いわば「反日」に名を借りた反政府デモであり、この反日が単なる口実であることは、「蒼井そらは世界のもの」というスローガンに象徴されるが、次のデモは政府主導の国内の不満の矛先を海外に向けるために動員されたデモであり、その下にあるのは特権階級と下層の出稼ぎ労働者(農民工)との間の潜在的な対立である。警官が中に潜り込んだのは、あらぬ方への暴走を抑止するためである。この渦巻く不安のもとの民主化リスクこそが、今後の対中関係を営む上での最大の脅威であると著者は警告する。

今後予測される中国の趨勢はどのようなものだろうか。中国人の識者は分裂か、似非民主か、専制強化の三つに一つだと言う。中国は分裂するかもしれないし、このまま今の状態が後数十年続くのかもしれない。あるいは、局所的な武力衝突に訴えることで、瀬戸際外交を続けるのかもしれない。これまでなかったから今後もないというには、中国国内の情勢は余りに逼迫している。それゆえ予測不可能だと著者は結論するのである。

はっきり言えることは、中国は予測不可能な、何が起こるかわからない時代がしばらく続く。p283

関連ページ:
福島香織『中国のマスゴミ』
福島香織『中国の女』


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