つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 
 
 かずさんの相談では、「男前」なる存在があらかじめ存在していることが前提になっていますね。つまり、「男前」なる本質があって、その本質に与っている者とそうでない者とが、もうあらかじめはっきりと決まっているということですよね?
 そんなことあり得るんですか!?
 (・・・)わざと面倒な言い方をするとですね、それって古代ギリシャのプラトンが言っていたイデアの考え方ですね。

(『哲学の先生と人生の話をしよう』32 A. p229)



國分功一郎氏の『哲学の先生と人生の話をしよう』(朝日新聞出版)は、宇野常寛氏が編集するメルマガ「メルマガ・プラネッツ」で連載した人生相談をもとにした34のQ&Aから構成された人生相談の本である。

人は生きる上で、何らかの悩みや問題を抱えている。同時に、何らかの悩みを友人・知人や家族、仕事の仲間から受けることがある。人生相談の本が面白いのは、一つにはそこで自分と同じ悩みや問題を発見し、解決するためのヒントにできるためである。もう一つには、人から相談を受け、それに対し答える立場に置かれた時のヒントにできるためである。

しかし、リアルな場面における相談と、このメルマガの相談は同じではない。朝日新聞の投書による人生相談「悩みのるつぼ」に基づいた岡田斗司夫氏の『オタクの息子に悩んでます』(幻冬舎新書)も同じだが、たった一通の手紙やメールに対し、それ以上の情報を得ることなしに、答えなければならないのである。通常の相談なら、最初の言葉に曖昧な部分や疑問点があれば、それをさらに掘り下げたり、あるいは他の話題へと振ることで、次々に相手の置かれた状況や心理について情報を引き出し、問題を明確にすることができる。多くの場合、本人がすでに無意識のうちに出している答えも知ることができるかもしれない。しかし、手紙やメールによる人生相談は、そうした対話のプロセスによるclarification(明確化)なしに進めなければならないのである。結果として、返答はサイコロの擲(un coup de dés)の性格を帯びることになるのである。
 
 何度か、「これに対する返答を間違えれば、自分はこの相談者の人生に間違った影響を与えてしまうかもしれない」という緊張感のもとに返事を書いたことがあった。(あとがき, p249)

ひょっとしたら、この返答の内容が、相手の人生の選択を大きく左右してしまうかもしれないと哲学者は考える。同時に、それは心地よい緊張感をも彼に与える。なぜなら、それは自分の哲学者としての存在理由そのものを賭けたたたかいでもあるからだ。哲学が、書斎の中で、あるいはアカデミズムの同業者や子弟の間でのみ共有される知識の体系ではなく、人生をよりよく生きる知恵として役立つものであるという、その真価がまさに問われるからである。哲学は人生論でなければならない。

かくして、哲学者は哲学におけるテキスト分析と同じスタンスで、メールの相談内容に望む。そこでは単に哲学者たちだけでなく、ラカンやフロイトといった精神分析の知識、社会科学や自然科学の知恵が総動員されることであろう。

 
 僭越ながら、拙著の話をさせていただくと、あの本、『暇と退屈の倫理学』も、考古学、経済学、社会学、生物学・・・・・・といくつものディシプリンにまたがっていますね。それは当たり前のことなのです。何かを考えようと思ったら、一つのディシプリンで終わるはずがないのです。(12 A. p92)

同時に、自分の生活史の中で得た数々の経験も総動員される。ヒュームという経験主義の哲学を、ドゥルーズの研究を通じ、深めた哲学者が、経験に背を向けることはありえないだろう。

哲学者が、相談者の言葉に対して、向ける視線はまず懐疑主義の視線である。本人は、自分の悩み、問題を正しく理解しているだろうか。自分の置かれた状況を、正確に、表現しているだろうか。

相談者は、真の問題を理解しないで、偽の問題にとらわれていることが多い。偽の問題は、信念(faith)、思い込み、固定観念によって生まれる。それを取り除き、真の問題を明らかにすることに、哲学者の努力はまず向けられる。

 
 ガリ勉は勉強ばっかりしているから問題なのではなく(勉強ばっかりして勉強で誰にも負けない人物になれば、もうそれは一つの達成でしょう)、勉強しておけば大丈夫なんだという”信仰”をもっている点がまずいのです。
(3A. p23)

時に個人の生活史の中で、時にメディアによってつくりあげられた固定概念は、笑いをもってハンマーで打ち砕かれるのである。
 
 出版って「斜陽産業」なんですか?哲学の本て売れないって言われます。大学生の時に受講したクソつまらない「哲学」の先生も「哲学の本なんてまずたくさん印刷してもらえないんだよ」とか言ってました。
 僕が書いた哲学の本は三万部以上売れました。まだ売れています。

(22 A.p156)

相談者は、自らを語り、語らない。語りながら、語らないのは、何かを守るため、一種の防衛機制である。自尊心や語れない秘密によって、あることは雄弁に語り、あることに対しては沈黙する。
 
 人生相談においてはとりわけ、言われていないことこそが重要である。人は本当に大切なことは言わないのであり、それを探り当てなければならない。(あとがき p251、強調…著者、原文は傍点による)

言葉の存在や過剰と同時に、言葉の不在を見つけることに哲学者のまなざしは向けられる。とりわけ、容赦ないと思われる指摘は、たとえば異性との関係を語りながら、一切相手のイメージが見えず、自分のこと、自分の観念しか語っていない場合になされる。

こうした自分語りの中でしばしば見出されるのは、ある矛盾である。「私は〜な人間である」という自己規定と、実際の言動の間の矛盾はその典型的なものである。もちろん、修正されるべきは自己規定の方だろう。

 
 ここには、自意識で処理するのはまずいということが意識できている俺、という自意識が読みとれます。自意識で処理してしまっている俺はダメだ――ということが意識できている俺はダメじゃない、というロジックですね。自分は性的マイノリティーではないと思うが、そうかもしれない――ということが意識できている俺はダメじゃない、というのも同じロジックです。
 そして、このロジックはバレバレです。
 多分、周囲にもバレバレでしょう。
 さて、もし僕が回遊魚さんの近くにいる友人だったら、「お前、自意識を意識できてるなんて無言の主張はバレバレだから、ヤメレ」と言います。

(4 A. p32)

かくして、ある時、相談者の抱えている悩みは本当の悩みではなく、別の悩みこそがその正体であると解き明かされる。

また、ある時は、解決策を示すには、データ不足であると返答されることもある。なぜなら、その相談内容は一般的なものにすぎず、解決策を導き出すには、個別・具体的なレベルに落とし込まれていなければならないからだ。

 
(…)どんな悩み(問題)も一般的・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具体的状況の中にあります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるのです。
(24 A. p172)

このような形で、哲学者は、真の問題の所在を可能な限り明らかにし、悩みの根源になっているものを限定しながら、語られざる相手の過去まで含めつつ、愛情を持って現実的な解決策を提示することもあれば、ふざけるな、全然相手のことなんか考えてないじゃないか、と叱咤することもある。

さらに、自分以外の相談相手として、解決のヒントになりそうな様々なジャンル学説やそのベースとなっている本を、ラーメン次郎のように大盛りにしながら提示するサービス精神も発揮する。

賢明なる読者は、フロイトやマリノウスキーが出てきてもびっくりすることはないだろうが、二村ヒトシ『恋とセックスで幸せになる秘密』なる書物が、大学の教壇に立つ哲学者から紹介されると、さすがに度肝を抜かれるか、当惑するか、笑い転げることだろう。そういうサプライズに満ちている点も、この本の大きな魅力の一つである。

限られたテキストの分析の中から引き出せる結論と同時にその限界をも正直に提示する『哲学の先生と人生の話をしよう』は、人生の様々な悩みを考えるヒント満載の本である。同時に、哲学とは何か、その思考を進めるプロセスを学ぶ上でも、格好の教科書であると言えるだろう。

私は、この本について雄弁に語りながら、実は何も語っていない。それは、読者の楽しみのためにとって置かれた秘密である。


関連ページ:
國分功一郎『来るべき民主主義』
國分功一郎『ドゥルーズの哲学論理』(1)
國分功一郎『ドゥルーズの哲学論理』(2)

   Kindle版


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