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國分功一郎『来るべき民主主義』
JUGEMテーマ:自分が読んだ本 

主権とは政治を最終的に決定する権利を指す。なぜその権利を有している者たちが、道路をつくる程度の政策の決定プロセスにすら参加を許されないのだろうか。そして、政策決定プロセスから住民を排除しているこの政治体制がなぜ民主主義と呼ばれ続けているのだろうか?(『来るべき民主主義』p112)



『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』
幻冬舎新書)は、小平市に住む哲学者、國分功一郎氏が住民運動に参加する中で直面した「行政」に住民の意見を浸透させることの困難を契機に、民主主義の原理的諸問題を掘り下げた著作である。

都道328号線の建設工事は、半世紀前に策定されながら過去数十年間実施されないままであったが、急に行われることになった。それによって失われてしまう市民の憩いの場である、豊かな生態系を持った森。そして200世帯もの市民の住居。この工事に疑問を抱いた國分功一郎氏は、市民運動に加わり、街頭で立ったり、様々なイベントに参加する中で、いかに行政に市民の意見を浸透させることが困難かを痛感することになる。

この本の中には、今後の市民の政治への参加を考える上での重要な実践的問題だけでなく、原理的な問題が提起されている。

原理的な問題とは、こうである。私たちは、「民主主義」の国で生活していることになっている。確かに、選挙によって国会議員を選ぶことができるし、都道府県や市町村の議員の選挙を通して、意見を反映させることはできる。しかし、それらの行為の多くはもっぱら「立法」に関わるものである。首長の選挙に投票することはできても、地方自治体が実行してゆく事柄に意見を反映させる手段はほとんど持っていない。

「行政」サイドが進めるたった一つの計画さえも、その当事者である住民が変えることができないのである。

それを単に官僚制の閉鎖的性格にのみ帰すべきではないだろう。

近代の政治哲学そのものが、ジャン・ジャック・ルソーかカールシュミットに至るまで、もっぱら民主主義を「立法」を中心として、議論されてきたからである。

中心から外れることによって、重要度が低下したのではなく、手続きや制度設計の議論が行われることなしに、一種の自動機械として、絶縁体の向こうで勝手に機能し続けてきたのがこれまでの「行政」のありかたであった。

近代政治哲学が「立法」のみに関わり、「行政」を視野に入れることのないまま、民主主義の議論が行われてきたことがこのような事態を招いた一因であると言っても過言ではない。

國分功一郎氏は、ここに大きな盲点のあることを指摘する。

「来るべき民主主義」とは、「立法」と「行政」の双方に、市民、住民の意見が反映されるものでなくてはならない。「立法」という中心をめぐる円形の民主主義から、「立法」と「行政」という二つの中心をめぐる楕円状の民主主義へと変わるべき時期なのである。

だが、現状では厚い壁が立ちはだかっている。

そのような民主主義のかたちはまだないが、あちこちに萌芽はある。単に小平の例にとどまらず、徳島における可動堰を巡る住民投票などの例を取り上げながら、これからめざすべき方向性を具体的に提示してゆく。絶縁体の向こう側にある「行政」に、市民の意見という電流を届かせる回路を具体的に一つずつ作り出してゆかなくてはいけない。

これが本書の趣旨である。

本書の書名である「来るべき民主主義」は、フランスの哲学者ジャック・デリダの言葉から来ているが、そこには二重の意味がこめられている。決して実現されてはならない、いわば常に未完成の状態である民主主義。そして、それにもかかわらず、めざすべき目標として存在するべき民主主義。

『来るべき民主主義』は、新たな民主主義のあり方を考える上で、重要な提言や具体的な戦術の方向性を多く含んでいる。しかし、ここにあるのは一つの解決策であって、模範解答などではない。無数に考えうる別の解決策、別の解答が議論され、提示されるべきものである。

本書の内容は、住民運動や市民による政治運動に関わる人に読まれるべきものであるが、同時に政治や思想を学問的に語る人によっても読まれるべきものである。まずは、「民主主義」の既成概念を根本から問い直し、その新しいあり方を模索することこそ、学問の場にある人々の危急の問題ではないだろうか。

関連ページ:
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