原田久仁信・増田俊也『KIMURA』 0&1
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原田久仁信・増田俊也『KIMURA』(双葉社)は、作家増田俊也の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)のコミカライズである。
世紀の一戦と謳われた力道山と木村政彦の一戦は、八百長崩れの結果、力道山が木村を袋叩きにするという悲惨な結果に終わった。
このO巻は、毒にあてられそうな、異様な熱気に包まれている。
0巻は、原作者を含めて、プロレスに一敗地に塗れた柔道の汚名を何とか晴らそうとする人々の群像劇となっているのである。
全日本プロレスに入門しながらも、かたくなに柔道の汚名をそぐことに執念を抱く、岩釣兼生。柔道だけでなく、サンボの世界も制した彼は、木村政彦の愛弟子であった。
日本のメディアで、木村政彦の名前が再びクローズアップされるのは、1990年代バーリ・トゥードがブームとなり、グレイシー柔術の前に日本人格闘家が次々に惨敗し、その強さが脚光を浴びるようになってからである。ホイスやヒクソンの父親、エリオを倒した男、それが木村政彦だったのだ。
原作者である増田俊也が、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を書くようになったきっかけは、木村の死の直後に、作家猪瀬直樹(現東京都知事)が『週刊文春』に寄せたコラム「枯れない殺意」に始まる。柔道経験者である増田俊也にとって、木村は神のごとき存在であり、真剣勝負でないプロレスの試合の結果を掘り返すことが、死者に鞭打つかのように思われたのだった。木村が、懐中に短刀を忍ばせ力道山をつけねらっていたとの噂も知っていた。
猪瀬直樹にも、大宅賞受賞作家としての意地があった。何度も門前払いを食いながら、何とかインタビューにこぎつけた。その時の鬼気迫る様子が20ページ近くにわたり、描かれているのである。
著者の脳裏には、様々な人への思いがこみ上げる。
若くして散った力道山ではなく、生き延びた木村こそが人生の勝者と語る大山倍達。しかし、兄とまで慕ったのに、その後木村と袂を分かったではないか。
東京五輪で柔道重量級金メダリストに輝き、実業界に転進後、社長職に就きながら、倒産直前自刃という形で死を遂げた猪熊功(いのくまいさお)。
一体、男のけじめとはどうあるべきなのか?
学生時代、目の前で郷土の英雄が無残な敗北を喫する姿を見て、衝撃を受けた作家梶原一騎。
51歳で逝去した梶原の後の引継ぎ、「男の星座」に木村政彦を輝かせようという執念で、増田は『木村政彦はなぜ力道山を殺したか』を書き始めるのであった…
0巻の後半は、体格のハンディをものともせずに、バーリ・トゥードに、そしてグレイシー柔術に果敢に挑んだ中井祐樹の雄姿が描かれる。中井は、増田と同じ北大柔道部の出身であったのだ。
『プロレススーパースター列伝』の原田久仁信は、実在の人物を描かせればもっともデフォルメの少ない端整な絵で、しかも難しい格闘技のシーンをリアルに描き出すことに定評がある。漫画的な誇張に逃げることのない作風が、原作のドキュメンタリーとマッチし、熱気がほとばしるような傑作となった。それが『KIMURA』である。
『KIMURA』0巻の毒気にあてられた人への最良の解毒剤は、同時発売された『KIMURA』の1巻である。熊本での幼少時の木村政彦の様子が描かれる。父親は砂利採りの仕事をし、政彦は子供のころから手伝っていた。貧しいながらも、素直に元気よく生きてゆく政彦は、目の前に現れた郷土の英雄、後に師となる牛島辰熊を憧れのまなざしで見上げるのだった。ケンカに負けた悔しさを晴らすため、政彦は竹内三統流の流れを汲む柔道家、木村又蔵の元に入門する。それが柔道との出会い、大外刈りとの出会いの始まりであった。そして、もう一人重要な人物は、政彦の素直な性格をいち早く認め、温かく見守る禅僧、澤木興道である。吉川英治の『宮本武蔵』における沢庵和尚のような役割を果たすことになろう。川辺で砂利をすくい続ける中、しだいにたくましくなってゆく少年の日のハングリーな姿、そこに読者は不世出の柔道家木村政彦の原点を見ることだろう。
原田久仁信・増田俊也『KIMURA』(双葉社)は、作家増田俊也の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)のコミカライズである。
世紀の一戦と謳われた力道山と木村政彦の一戦は、八百長崩れの結果、力道山が木村を袋叩きにするという悲惨な結果に終わった。
このO巻は、毒にあてられそうな、異様な熱気に包まれている。
0巻は、原作者を含めて、プロレスに一敗地に塗れた柔道の汚名を何とか晴らそうとする人々の群像劇となっているのである。
全日本プロレスに入門しながらも、かたくなに柔道の汚名をそぐことに執念を抱く、岩釣兼生。柔道だけでなく、サンボの世界も制した彼は、木村政彦の愛弟子であった。
日本のメディアで、木村政彦の名前が再びクローズアップされるのは、1990年代バーリ・トゥードがブームとなり、グレイシー柔術の前に日本人格闘家が次々に惨敗し、その強さが脚光を浴びるようになってからである。ホイスやヒクソンの父親、エリオを倒した男、それが木村政彦だったのだ。
原作者である増田俊也が、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を書くようになったきっかけは、木村の死の直後に、作家猪瀬直樹(現東京都知事)が『週刊文春』に寄せたコラム「枯れない殺意」に始まる。柔道経験者である増田俊也にとって、木村は神のごとき存在であり、真剣勝負でないプロレスの試合の結果を掘り返すことが、死者に鞭打つかのように思われたのだった。木村が、懐中に短刀を忍ばせ力道山をつけねらっていたとの噂も知っていた。
猪瀬直樹にも、大宅賞受賞作家としての意地があった。何度も門前払いを食いながら、何とかインタビューにこぎつけた。その時の鬼気迫る様子が20ページ近くにわたり、描かれているのである。
力道山にあれほどの
恥をかかされて
なぜ力道山を殺さなかったのか
なぜ切腹しなかったのか
だが結局 木村は
刺し殺すことを
思いとどまり
世間から
「力道山に負けた男」
というレッテルを
貼られ
表舞台から
消えていく
猪瀬直樹に
あのような言葉を
吐いたことから
わかるように
木村政彦の後半生は
まさに生き地獄であった
「木村政彦はなぜ
力道山を
殺さなかったか」
というタイトルは
ここからきている
pp78-79
著者の脳裏には、様々な人への思いがこみ上げる。
若くして散った力道山ではなく、生き延びた木村こそが人生の勝者と語る大山倍達。しかし、兄とまで慕ったのに、その後木村と袂を分かったではないか。
東京五輪で柔道重量級金メダリストに輝き、実業界に転進後、社長職に就きながら、倒産直前自刃という形で死を遂げた猪熊功(いのくまいさお)。
一体、男のけじめとはどうあるべきなのか?
学生時代、目の前で郷土の英雄が無残な敗北を喫する姿を見て、衝撃を受けた作家梶原一騎。
51歳で逝去した梶原の後の引継ぎ、「男の星座」に木村政彦を輝かせようという執念で、増田は『木村政彦はなぜ力道山を殺したか』を書き始めるのであった…
0巻の後半は、体格のハンディをものともせずに、バーリ・トゥードに、そしてグレイシー柔術に果敢に挑んだ中井祐樹の雄姿が描かれる。中井は、増田と同じ北大柔道部の出身であったのだ。
『プロレススーパースター列伝』の原田久仁信は、実在の人物を描かせればもっともデフォルメの少ない端整な絵で、しかも難しい格闘技のシーンをリアルに描き出すことに定評がある。漫画的な誇張に逃げることのない作風が、原作のドキュメンタリーとマッチし、熱気がほとばしるような傑作となった。それが『KIMURA』である。
人は眼にだまされ
頭にだまされ
本当の力を
出せんでいる
頭にだまされ
頭で臆することを
仏の教えでは……
「妄想(もうぞう)」
と言う
(『KIMURA』1,p140)
『KIMURA』0巻の毒気にあてられた人への最良の解毒剤は、同時発売された『KIMURA』の1巻である。熊本での幼少時の木村政彦の様子が描かれる。父親は砂利採りの仕事をし、政彦は子供のころから手伝っていた。貧しいながらも、素直に元気よく生きてゆく政彦は、目の前に現れた郷土の英雄、後に師となる牛島辰熊を憧れのまなざしで見上げるのだった。ケンカに負けた悔しさを晴らすため、政彦は竹内三統流の流れを汲む柔道家、木村又蔵の元に入門する。それが柔道との出会い、大外刈りとの出会いの始まりであった。そして、もう一人重要な人物は、政彦の素直な性格をいち早く認め、温かく見守る禅僧、澤木興道である。吉川英治の『宮本武蔵』における沢庵和尚のような役割を果たすことになろう。川辺で砂利をすくい続ける中、しだいにたくましくなってゆく少年の日のハングリーな姿、そこに読者は不世出の柔道家木村政彦の原点を見ることだろう。