つぶやきコミューン

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森合正範『力石徹のモデルになった男 天才空手家山崎照朝』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略               ver.1.01

 

 

コアな格闘技ファンや極真ファンにとって、空手家山崎照朝の名前は今日でも不動の存在感を持っている。177センチの長身、華麗な回し蹴りを武器に、フルコンタクト空手大会の嚆矢とも言える第一回全日本空手選手権大会を制覇し、さらにはキックボクシングにもデビューし、「キックの鬼」沢村忠が敗れたタイの強豪をことごとく撃破した。第五回の全日本の決勝でも、極真の古参である廬山初男と死闘を繰り広げ、その健在ぶりを見せつけた。さらに、女子プロレスのコーチとなり、一世を風靡した「クラッシュギャルズ」の陰の立役者となった。

 

けれども、山崎照朝本人は、名声や金銭に対する欲がなく、寡黙な性格で、過去について多くを語らないため、その背後で一体何があり、山崎本人が何を感じてきたのかは、今までヴェールに閉ざされてきた。

 

空手の第一線を離れたのち、山崎はサラリーマンとしての人生を歩むことになる。最初は、中日映画社に就職したが、その後東京新聞ショッパー社に転職し、デイリースポーツにも格闘技レポーターとして記事を寄せるようになる。『力石徹のモデルになった男 天才空手家山崎照朝』(東京新聞)は、後輩のスポーツ記者である森合正範による山崎照朝の評伝である。

 

山崎照朝自身極真を離れ、またスポーツ新聞の記者による著作であるため、極真関係者の著作のように、タブーで語れないこともなければ、政治的な思惑に記述が左右されることもない。幅広い関係者に取材し、膨大な情報を見事に交通整理しながら、ほぼニュートラルな内容となっている。ふだん文章を書き慣れない格闘家本人による著作の場合には、写真が多用され、大きな活字と行間の空白でページを稼ぐことも少なくないが、本書の場合数行の中にも、重要な情報が凝縮され、読み終えた時には、ずっしりと人生や時間の重みを感じる読みごたえのある一冊となっている。

 

梶原一騎原作、ちばてつや画によるボクシング漫画『あしたのジョー』における矢吹丈の最大のライバル力石徹のモデルが、山崎照朝であったことは、一部の関係者以外、ほとんど知られないエピソードであった。四角張った顔の力石のイメージと面長の山崎のイメージはかみ合わないのである。実際、梶原一騎から力石のモデルはお前と伝えられ、『あしたのジョー』に目を通した山崎本人が全然似ていないじゃないかと感じたほどである。
 

  山崎は『週刊少年マガジン』をパラパラめくり、力石の絵を見つけると、「なんだ、このもじゃもじゃ頭は。全然俺に似ていないじゃねえか」と思ったという。p16

 

漫画の原作にもさまざまな形がある。本人も絵が描ける原作者である場合には、原作はラフな絵のネームの形になることが多いが、作家である梶原の場合、原作はあくまで原稿用紙に書かれた文字のみである。だから、力石徹のビジュアルは、梶原一騎から言葉で情報を伝えれたちばてつやの創作なのである。

 

梶原一騎が、山崎をモデルとしたのは、その外観ではなく、ニヒルでクールな性格、ストイックな求道心、勝負への徹底的なこだわり、その人生哲学であった。

 

そして奇妙なことが生じる。2019年になって初めて山崎に会った梶原の息子高森城は、山崎の現在の姿を力石徹そっくりだと感じたのであった。

 

 高森は下げていた頭をゆっくりと上げた。自然と山崎の顔が目に入る。驚きのあまり、もう一度見た。思わずじっと見つめてしまう。

「そっくりだな…」

 心の中のつぶやきが、もしかしたら表情に出ていたかもしれない。慌てて、口角を上げて笑顔をつくり平然を装った。

 会う前まで、高森の脳裏には父が原作の漫画『空手バカ一代』(講談社)に登場する山崎照朝の顔の絵が刻まれていた。だが、実際に目の前にいるのは、同じ父の漫画でも作品が違う。『空手バカ一代』の山崎ではなく、ボクシング漫画『あしたのジョー』に出てくる力石徹そのものだった。pp23-24

 

山崎照朝は、どこまでも武人であり、スポーツ選手ではなかった。空手でお金を稼ぐこと自体をいさぎよくしなかった。梶原との会食で、車代として三万円を渡されても、「オレの顔を潰すのか」と言われながらも辞退し続けた。キックボクシングも、館長である大山倍達の命に逆らえなかったため、二試合という条件でやむなく出場したのである。自ら「風林火山」の道場を持ち、教えだした時も一切月謝はとらなかったし、全日本女子プロレスから懇願されて、コーチとなった時も、気に入らなければいつでも下りることが唯一の条件で、謝礼を固辞し続けた。この態度は、今日に至るまでずっと変わることはない。その無欲さ、酒づきあいをとことん退ける武骨さは、漫画『空手バカ一代』の初期の大山倍達像と見事に重なる。小説や漫画の中でのみお目にかかることができると思っていた真の武人の実在を確認することで、地位と名誉と金の追求に走りがちな格闘技の世界に大きな光を見つけた思いがするのである。

 

空手を始めた動機も、番長グループに目をつけられ、ケンカに強くなりたかったため。その後、極真会館の広告を見つけると往復7時間をかけて山梨から通い続ける。芸能界入りするため歌のレッスンを受けると親を欺きながら道場に通い続ける。何ヶ月も月謝を払えないこともあったが、大山と直に話し空手への熱意が認められると、催促されなくなった。道場では、目突き金的蹴りありのなんでもありの世界、さらには187センチ110キロのカレンバッチを相手に、63キロの体重で一歩も引かぬ戦いをするにはどうすればよいか、絶えず研究を重ねた。そして迎えた第一回全日本大会、ここで他流派や他の格闘技に負けたら極真に未来はないとの覚悟を、添野義二、長谷川一幸と誓い合う。キックボクシングでも同様の覚悟が必要とされた。あくまで大山に言われたからとのキックへの出場だったが、タイ人には前蹴りがきかないとの沢村忠の言葉を聞き俄然敵愾心が刺激され、あえて前蹴りで勝負を賭け、カンナンパイを倒してみせた。全日本女子プロレスでの指導では、あまりの厳しさに、「ジジイ、殺してやる」とまで言われたが、山崎から直接技を教われば、試合で使える、そして長与や飛鳥のように一躍スターになれるとあってその信頼は絶大なものがあった。女子プロレスの指導のエピソードは、極真内部のエピソード以上に、山崎の人間性が出て、胸が熱くなる場面の連続である。『空手バカ一代』の大ヒットで、しだいに傍若無人にふるまい始める梶原一騎、真樹日佐夫兄弟の行状にカチンときていた山崎は、真樹の「喧嘩だったら山崎よりも強い」との放言を放置せず、直接ヤキを入れようとした。おびえた梶原は芦原英幸に泣きつき、とりなしを頼んだ。そのいきさつを聞いた大山の言葉が傑作である。

 

「きみ、それで喧嘩にはならなかったのかね?」

 山崎からも詳細を聞きたいようだった。

「押忍。芦原先輩から電話があって、最後に『頼みだ』と言われまして。先輩からそう言われたら喧嘩するわけにはいかないですし、手を出さず、我慢しました。」

 しばしの沈黙。少しずつ大山の顔が赤く染まっていくのが分かった。

「きみ、なぜやっちゃわなかったのかね。半殺しにすればよかったんだよ!」

p194

 

山崎照朝の人間性・人生観、極真空手、キックボクシング、女子プロレスの裏話に加えて、さらなる本書の魅力は、山崎照朝の組手のスタイル、技の核心部分、強くなるためのエッセンスの紹介である。

 

 パワーで吹き飛ばされないように、後屈立ちを大きく構え、両手を前に突き出し、防御力のある「前羽の構え」や「天地の構え」を試したかった。あえて相手に蹴らせる。高い蹴りはすべて肘ではじくようにたたき落とし、低い蹴りは膝やすねでガードする。そのとき、1ミリたりとも下がらない。膝は高く抱え上げると中断蹴りも受けられる。p72

 

第二回大会で、長谷川一幸にKO負けした佐藤勝昭が山崎に教えを乞うた時には、こう言った。

 

「よし、じゃあ言うよ。俺はおまえとやったら絶対にコントロールできる。負ける気がしない。なぜかというと、パワーはある。蹴りもパンチもある。でも、引きがないんだ。一度攻撃したら構えが崩れる。だから、攻撃してきたのをさばいたら、いつでも懐に入れるよ。蹴ったらすぐ引く。パンチを打ったらすぐ引く。蹴りや突きが『3』、引きが『7』のスピードでいい。そのバランスのつもりじゃないと駄目だ」p164

 

山崎照朝の空手は、教科書通りの「形」を、形骸化させず、それに魂を入れ、美しい技がそのまま強さに直結するような理想の空手であった。それゆえ、大山倍達が道場で用いながらも、他の弟子たちが敬遠する前羽の構え、天地の構えなどを山崎は試合で多用し続けた。一見、隙がありそうに見える構えこそ、相手の技を誘いこむところまで計算済みで、次には容赦のない反撃が待っている。これこそが山崎空手の「待ち拳」である。第一回の全日本大会で山崎の組手を目にした他流派の人々も驚きを隠せなかったという。

 

美しさと強さとの両立こそが、山崎照朝の空手の真骨頂であったのだ。

 

「…やっていることは空手の形に全部あるんだよ。組手の動きは形の動きから取っているからね。でも、今の極真連中は形にあまり興味がない。形なんてあんな踊りをやっても仕方がないと、組手しかやらない。本当に強い奴は形もうまいんだよ。形を覚えなきゃ、理解しなきゃ」p296

 

『力石徹のモデルになった男 天才空手家山崎照朝』では、また山崎照朝の回し蹴りが、板垣恵介の格闘技漫画『グラップラー刃牙』の主人公範馬刃牙の回し蹴りに直結したエピソードを紹介している。他の人とはまるで違う山崎の回し蹴り、何が違うのか、それが理解できるまで板垣は何度も描き続けたというのである。

 

生涯清貧を続け、お金や名誉、地位に無欲であり続けたためなのか、無料で青少年相手に教えた道場は長続きせず(止めるきっかけは父母による練習風景の動画投稿だった)後継者に恵まれなかったが、本書によって、その武道家の魂、そしてその空手のエッセンスは、山崎照朝を知らない世代にも確実に伝わったことだと思う。

 

『力石徹のモデルになった男 天才空手家山崎照朝』は、近年まれに見る充実した格闘技のノンフィクションドキュメンタリーである。

 

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