つぶやきコミューン

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古市憲寿『奈落』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本   文中敬称略

 

 

古市憲寿の小説『奈落』(新潮社)は、天井の染みを数えるシーンから始まる。

 

 62番目の染みの隣には、小さな窪みがある。ピアノ教室を休みたかった私が、メトロノームを天井に叩きつけた時にできた跡だ。あんなに嫌だったピアノなのに、今では鍵盤を叩く感触を思い出すと泣きそうになる。

 63、64、65、66。四つの染みは、カーテンレールのすぐそばに星座のように並んでいる。偽十字座という名前をつけたのは、目を覚ましてから2066日目。今日から4073日前。暗算ばかりが上手になってしまった。

 

主人公は、藤本香織。作詞作曲も手がけるアイドル歌手としての頂点で、ステージより転落し、全身不随となって、病院のベッドで横たわっているのである。彼女は手足を動かすことも、話すことも、指先を動かすことも、自由に目を動かすこともまばたきすることもできない。だが、意識ははっきりとしているし、訪れた人の顔も見えれば、話を聞くこともできる。ただ一切の反応を示すことができないために、周囲の人びとは彼女に意識がない植物人間の状態だと考えているのである。

 

彼女を取り巻く者たち。自らの容姿に自信のあった香織の母親は、香織によって、主人公であった自分の地位が脅かされたことを疎ましく思っていた。香織の姉は、香りにお金の無心をすることで味をしめていた。香織の父親は、さえない高校教師。香織の恋人、海くん。とはいえ、彼とは音楽や夢を通して語り合ったけれども、肉体関係にはまだ至らなかった。香織と同期のアイドル高畑穂な波のことを、決して香織はよく思ってはいなかった。老医師は冷淡に香織の病状に引導を渡そうとするが、そこに一縷の希望を見出そうとする若い医師野田

 

香織の病室で行われる会話と香織の内的モノローグが延々と続いてゆく。

そこでむき出しになる人々の欲望の数々。

自らの人形として支配しようとする者、香織の残した曲でお金儲けをはかろうとする者、性欲の対象としようとする者、友情の美談をつくりあげ、自らの人気につなげようとする者。

物言わぬ寝たきりの女性は、あらゆる欲望にさらされ続ける。

 

香織は、意識を保ち続けるために、事故から何日が経過したかを数え続けている。

人びとの欲望がエスカレートし、混沌が渦巻く中で、数十日、数百日、数千日の日時が歳月が経過してゆく。

 

その果てに起こるものは、一体何なのか。救済なのか、それともカタストロフなのか。

 

『奈落』は、ある意味、現代版カフカの『変身』であるだろう。ベッドに縛りつけられ、動けず、口もきけない存在になったことで、それまでの関係は変質してゆく。だが、視点が内側に移ることで、周囲の人びとの無遠慮な言葉の数々が、刃物のように彼女の心を、尊厳を傷つけるさまが、万華鏡のように映し出される。けれども、『奈落』は、カフカのように、いつの時代のどの場所かわからないような、漠然とした状況設定の小説ではなく、はっきりとした空間と時間の座標軸が示された小説である。3・11の大震災とおぼしき地震も病室の彼女を襲う。そこにあるのは、まぎれもなく同時代の日本である。

 

『奈落』は、おそろしい小説、作家がファンの女性の囚われの身となるスティーブン・キングの『ミザリー』よりもさらに恐ろしい小説だ。

 

一見能天気に見える風貌の裏で、おそるべき人間観察が行われていた。出演した数々のテレビ番組もまた、社会学のフィールドワークにすぎなかったかのように、古市憲寿は容赦なく人物と社会のディテールを集め、一人の女性の視点を借りながら、壮大な人間の仮面パーティ、欲望の曼荼羅をつくりあげた。

 

『奈落』は、古市憲寿の最高傑作といってよい別格の小説なのである。

 

関連ページ:

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國分功一郎、古市憲寿『社会の抜け道』(1) (2) 

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