JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
『cook』(晶文社)は、坂口恭平の料理本である。本人がそう書いているのだから間違いない。
料理本であるが、レシピ本ではない。
作り方を書いてある料理もあるが、そうでないものもある。
いつも計画した通りうまくゆくとは限らない。オムレツの中身が玉子からはみ出ることもある。
味噌汁や、ベーコンエッグ、サンドイッチなど同じ料理が何度も出てくる。
前日の残り物が翌朝名前と姿を少しだけ変えて出てくる場合もある。
そう、どちらかというと料理日記。
坂口恭平が自ら作った料理を、自らiPhoneで撮り、自ら描いたイラストを添えながら、手書きの文字でコメントを加えた本なのだ。
写真がすごくいい。というのも、坂口恭平は絵描きでもあるから、
キャンバスに絵の具を塗るように、皿の上に料理を並べ、絵を額縁に入れるように、カメラのフレームに収めている。
食べ物と食器を使ったアートでもあるのだ。
その料理は、ものすごく凝ったものではなく、むしろありふれたものだが、それでもバリエーションに富んでいる。
というのも、夕食だけでなく、朝昼含めて三食、坂口恭平は自分で料理するからだ。
「三食作れば、鬱が治る」
p125
料理するのは、躁鬱病の治療のためでもある。
今から料理本をつくってみようと思った
編み物と同じようにこれも「手首から先運動」
の一貫である。治療としての料理。
そして覚えていられない僕のための
忘れないノート。書いちゃえば忘れ
ても読み返せばいい。
(はじめに p1)
鬱になると、身体が動かなくなる。その中で、わずかに手首から先だけ動かして、正気を保とうとする。
その延長で、料理を始めると、鬱のどん底まで落ち込むことなく、しだいに気分がよい方向に向かうように感じられたのだ。
その変化の記録が、料理のコメントの中にも語られている。
コンテンツの前半が「cook 1」「cook 2」の料理日記で、後半には、料理をめぐるエッセイ「料理とは何か」が続いている。
ここには、坂口恭平の料理をめぐる思索と「ファンタジー」がまとめられている。そして、なぜ料理が躁鬱病に効くかも語られらている。
風呂に入らなくても、髪を切らなくても、働かなくてもいいかもしれないが、食べなくては死んでしまう。眠れなくても、性欲がまったくなくなっても、実は食欲だけは、かすかに残っている。
それはつまりい、鬱でほとんど死にそうな人にとっての唯一のかすかな欲望であり、最後に残っている力、それが食べることなんだと僕は思う。
だから、この「食べる」という行為から、少しだけ体を動かし、また元気に動く自分に戻すための方法を見つけることができないか 。−−−それが、僕がこの本を書くようになった理由である。pp114-115
食べる前には料理をしなくてはいけない。人間は唯一火を使い、料理をする動物である。
書くことも「手首から先運動」で少しは救われるものの、書く作業は自閉的なままだ。けれども、空腹に耐えかねて、米をとぎ始めたときから、変化の兆しを感じた。
自分で炊いた米、自分でつくった味噌汁、ベーコンエッグはいつもつくってもらって、どうにか食べていたご飯とはどれも違う顔色をしていて、米なんか一粒一粒目に入ってきて、ああきれいだなあなんてことを思ったのだ。そして思った。
「苦しいって書くことよりも、料理をしているほうがまだ体に良さそうだ」
これは僕の頭が考えたことというよりも、僕の体が感じた素直な感想だった。p120
書く時のように、自閉的な感じがしなかったのは、そこに食材があったから、食材との対話があったからではなかったのか。
生きるとは、料理であるという基本テーゼがこのようにして確立される。
人間とは何か? と聞かれたら「人間とは料理である」と言ってもいいのかもしれない。つまり、それは「生きるとは料理である」ということである。p126
料理をすることは、あらゆる創造の源であり、また治療でもある。坂口恭平はこの本を「精神的にきつい状態で日々を送っている人」に届けたいと思っている。
食事療法、作業療法、そして盛り付けも楽しくやれば芸術療法も兼ねている。こんなに無敵な治療が他にあるだろうか。と、僕にはそう思えてきた。pp122-a123
料理をつくること、そしてそこから料理をつくることを記録した本をつくることへと、二重の創造の行為が生まれる。
「料理とは何か」の後半は、手作りすること、本を手作りすることにあてられている。
料理を考えて、つくって、携帯電話で撮って、食べて、それをコンビニのネットプリントで出力して、ノートに貼って、コメントを書く。僕にとってはそこまでの一連の流れすべてを「料理」だと思いながらつくってみた。
多くの人が、現在、パソコンと携帯だけを使い、鉛筆もあまり使っていないのではないかと思っている。手書きの文字を書くことも減っている。そこをなんとかしたい。それは治療のためでもある。手首から先を動かすことは、治療として役立つだけでなく、それはつねに喜びの種である。
みんなが忘れかけている「手作り」すること。
p131
料理をつくっても、坂口恭平は、『独立国家のつくりかた』の坂口恭平だ。
そして、日々料理をつくる行為の中で坂口恭平自身が癒される。それを記録した本を読んだ読者もまた癒される。
『cook』は、そんなやわらかな空気感の漂った本なのだ。
そしてある人は、この本の中におさめられた料理へと誘われる。
おそらく、同じ名前の、だが見た目も、味も微妙に異なる料理ができあがることだろう。
そして、自ら作り、それを食べる中で、一日また一日と生きることを、生きることの喜びを見出す。
『cook』のような、自分だけの料理本を手作りし始める人もいるかもしれない。
『cook』はそのような本として作られている。
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