JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略
ニーチェは日本人にとって最も親しみやすい哲学者の一人だが、『飲茶の「最強!」のニーチェ 幸福になる哲学』(水王舎)は、『史上最強の哲学入門』や『14歳からの哲学入門』などの著作で絶大な人気を誇る飲茶によるニーチェの入門書である。
これまでも著者は『史上最強の哲学入門』でも、『14歳からの哲学入門』でも、ニーチェについて語ってきた。『史上最強の哲学入門』では、哲学史の流れを形作る四つの問いのうち神をめぐる問いの中で扱い、『14歳からの哲学入門』では、「哲学」という中二病の系譜の筆頭としてニーチェを挙げ、ニヒリズムの克服と永劫回帰の思想を中心に解説した。本書では、それらを統合した上で、さらに深化させながら、よりわかりやすい解説を試みている。
『飲茶の「最強!」のニーチェ』の大きな特徴は、もともと受験国語のカリスマであった出口汪の『「最強」の』シリーズの一環として、先生と女生徒との対話の形で書かれていることにある。ときに読者をリラックスさせる脱線を含みながらも、よく知らない初心者の素朴な疑問を解消すべく、次々とツッコミを入れさせ、それに対して答えてゆくという形式をとっている。
もともと対話形式は、古代ギリシャの時代のプラトンの一連の『対話篇』以来哲学をわかりやすく語るために、しばしば用いられてきた伝統的な手法であるので、そこに何の違和感も感じない。
とはいえ、概念と概念を論理的につなぎ説明するだけでは、普通の人の頭には、お経のようにしか聞こえない。それを、私たちの生きる日々の生活や現実へととことん落とし込むことで、可能な限りわかりやすいニーチェの入門書となっているのである。
著者が、まず冒頭で語るのは黒哲学と白哲学の区別である。黒哲学なんて言葉一度も聞いたことがない人が大多数だろう。実際、そんな概念は、これまで誰も語ったことがなかったが、内容は容易に見当がつく。
白哲学とは、心の中に描かれた真・善・美など、きれいごと、理念の世界を語る哲学である。いわゆる形而上学の流れがこれに属し、一種の建前の哲学である。
これに対し、黒哲学とは、美しい天上の世界より地上のダークサイドへ落ちた哲学。概念から出発することなく、私たちの置かれたシビアな現実より出発する哲学、本音の哲学、具体的には、ニーチェやキルケゴールより始まり、サルトルやハイデガーに至るいわゆる実存の哲学のことである。
ニーチェの哲学は、まずキリスト教の思想の批判である。神があるとかないとかの有無が本当の問題ではなく、そこでは弱者を弱者のままにとどめながら、心理的な満足を与えるような人々を隷属へと導く哲学が語られていることが重要なのだ。いわゆるルサンチマン(怨恨)の思想である。
しかし、「神は死んだ」と高らかに宣言し、神の偶像を破壊したとしても、あとに残るのは、めざすべき価値を喪失したニヒリズムではないか(末人)。このニヒリズムの克服こそが、ニーチェの最大の課題であった。かくして導入される「超人」や「永劫回帰」の思想とは、「大いなる正午」とは、そして「力への意志」とはいかなるものなのか。誰も試みたことがないやり方で、著者は解説することであろう。
飲茶の哲学は、あれこれの解釈の受け売りではなく、完全に納得ゆくまで自分の頭でとことん考え抜くことによって、生み出されたものだ。そして、その習慣は、思春期のある経験から来ている。ニーチェはその原点でもある。
『飲茶の「最強!」のニーチェ』の第五章の中で、著者はこれまで一度も行ったことがないある告白を行っている。きわめてドゥルーズ=ガタリ的とも言えるある障害ゆえに、周囲とのコミュニケーションに苦しみ続けた少年時代、別のある障害をもった、ニーチェを愛読する少女と出会い、そこで自分ももっと自由に生きてよいのだと、光を見出したのが哲学との出会い、ニーチェとの出会いであった。哲学とは、まさに著者にとって、絶望から希望へと至る導きの糸であったことを私たちは初めて知る。
つまり、著者にとっては、「生きるためのニーチェ」であったのだ。そんな著者によって語られるニーチェが面白くないわけがない。そして、そこで語られる哲学の世界とは、実は動物的感覚的所与の世界によって、人間的な意味の世界を宙づりにしてみせた養老孟司の『遺言。』ともきわめて近い世界である。
『飲茶の「最強!」のニーチェ』は、単なるニーチェについての本ではなく、哲学の基本的な考え方を身につけ、生きることの価値を学ぶことのできる書物なのである。
関連ページ:
飲茶『14歳からの哲学入門』