つぶやきコミューン

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プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略

 

 

「時事芸人」プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)は、いわばメタ視点からのメディアリテラシーの本である。

 

しかし、虚実をいったん宙づりにして、面白がるという点で、他の真面目なメディアリテラシーの本とは違っている。新聞を、むしろエンタメとして楽しむ方法なのだ。タイトルには、「芸人式」とあるが、むしろプロレス式といった方がよいかもしれない。前著の『教養としてのプロレス』と同じ方法論にもとづいて書かれているし、本書の冒頭にもこうある。

 

 大好きなプロレスも、「何が本当か」を見極めるのが実に難しいジャンルだった。
 会場の座る席によって見える試合の風景がまったく違うように、プロレスそのものも見る人の心の角度によってまったく味わいが違う。何をうけとめ何を感じたのか。「真実」はわからない。確実なことは、自分が思う「真実らしきもの」があるのみ。いったリングの中で何が行われていたのか、自分の見立てやその真贋を探るためには、スポーツ紙やプロレス雑誌でさまざまな視点を読み比べてみるしか手だてがなかった。だから、夢中でむさぼり読んだ。プロレスファンは、「リテラシー」なんて言葉を知らない頃から、おのずと高い「読むリテラシー」を身に付けていたのだ。

 

虚実あい半ばする報道、ニュースの中に、自分なりの「真実」を探すという点では、対象がプロレスであろうと、政治であろうと、芸能であろうと変わるところはない。芸人式新聞の読み方は、プロレス式メディアリテラシーの本であるのだ。

 

本書で扱うのは、単に朝日、毎日、読売、産経、日経といった大新聞だけではない。日刊スポーツ、デイリースポーツ、報知新聞、スポーツニッポン、サンケイスポーツ、東京中日スポーツといった朝刊スポーツ紙に、東京スポーツや日刊ゲンダイといった夕刊紙やタブロイド紙を加え、それぞれの傾向と対策を詳述している。

 

新聞の読み方の第一は、各新聞のキャラづけである。それぞれの新聞をプチ鹿島流にキャラづけしてゆくと、たとえば、朝日新聞は、「高級な背広を着たプライドの高めのおじさん」産経新聞は、「いつも小言を言ってる和服のおじさん」、毎日新聞は「書生肌のおじさん」、東京新聞は「問題意識が高い下町のおじさん」ということになる。すべてに「おじさん」という言葉がつくように、日本のメディアは今でも「おじさん」編集者が「おじさん」読者を想定しながらつくる「おじさん」メディアが主流なのである。

 

それぞれの新聞は、どの記事にどのページのどれだけのスペースを充てるか、どのニュースソースにもとづいて報じるか、どんな見出しをつけるかなどによって特徴づけられる。

 

たとえば安保法制反対の国会前デモの報じ方。一面で大きく報じた朝日新聞や東京新聞に対し、産経新聞や読売新聞は社会面で報じた。デモの参加人数でも主催者側発表と、警察関係者によるもののいずれをとるかによって、各新聞のスタンスが明示される。

 

新聞の読み方の第二は、口癖への着目だ。どの新聞もベスト3までは似たような口癖(「〜すべきだ」「〜したい」「〜ほしい」)があるが、さらに細かく見てゆくと、「必要だ」「納得できない」などの独自の口癖が出てくる。

 

それが何に対して適応されるかで、その新聞の価値観が浮き彫りになる。たとえば、読売新聞が「必要がある」という表現を用いるのは、中国に関してがもっとも多く、毎日新聞が「納得がゆかない」のはほぼ政権のやり方に関してであるだろう。

 

 「必要がある」という言葉を抽出してみると、『読売』は中国にとても敏感なことがわかる。中国に対してはとにかく米国と「連携」して「注視」し、「自制を促す」ことが必要があるのだ。

 

新聞は、一紙だけでは真実に近づくことができない。政界であろうと、芸能界であろうと、スポーツ界であろうと、複数の報道を読み比べることで、ようやく行間の真実が読み取れるようになる。そのときの目安となるのが、メディアの情報源への距離である。政府の一番中枢の声を伝えているのはどの新聞か、芸能界であれば、たとえばSMAPの報道の場合なら、ジャニーズ事務所の声を一番忠実に伝えているのはどのスポーツ新聞なのか。それは、事前の報道と、その後の事態の推移や発表された事務所の声との符牒によって、自然と浮かび上がってくるのである。

 

 このように、朝刊スポーツ紙には、球団や事務所の「発表報道」「情報戦」という側面がある。中でも、2016年の初頭に持ち上がったSMAPの解散騒動は、「この記事は誰が書かせているのか」そして「どのような世論を形成するのが目的なのか」という情報戦の視点で読み比べするうえで、まさに超ド級の材料だったと言えるだろう。

 

この文章に始まるSMAPの解散騒動をめぐる部分は、本書でも白眉の部分であり、多くの記事を読み比べながら事件の真相に肉迫するさまは、さながらスリリングなミステリーを読むようである。

 

メディアリテラシーの最大のポイントは、個々の報道を、点を点のままで終わらせず、線でつながるようにすることなのだ。


スポーツ新聞やタブロイド紙の場合には、「におわせる」表現が多用される。ほぼ確実だが、決定的な証拠が欠けている場合もあれば、当事者との力関係によって、はっきりと書けない場合もある。そのにおわせ方も集合写真と見出しとの位置関係で、誰かわかるように言外で伝えたりと実はかなり芸が細かいのである。

 

だから、東京スポーツのように、一見トンデモに見える記事も、玉石混交で、実は文春砲や新潮砲のはるか先を行っている場合も少なくないからバカにできない。

 

新聞は、そしてメディアは、単なる第三者による真実の伝達ではない。しばしば、流されるニュース自体が、当事者による「情報戦」の様相を帯びてくる。つまり、いずれの側も自分に有利な情報を流そうとするのである。それはウクライナ情勢でも、つちやかおりW不倫報道でも、変わることはないのである。

 

どの新聞、どのスポーツ新聞が、どのような傾向を持っているかは、誰でもおおざっぱなイメージを持っている。しかし、著者はそれらを持続的に観察、分析し続けて、個々のメディアの文章の特徴まで、微に入り細に入り明らかにしている。メディアリテラシーの本は、個別具体的な言及を避けるとベタな一般論的内容にならざるをえないが、著者は政治でも、芸能でも、具体的に踏み込むことをおそれない。それゆえ、本書は他のどの本よりもわかりやすく、親切なメディアリテラシーの本となっているのである。

 

それまで漠然と読み流していた新聞の文章の一つ一つ、見出しの一つ一つが別の輝きをもって現れてくる。ちょっとした語尾に、その新聞ならでは「芸風」を感じ、思わずニヤニヤと笑いがこみあげてしまう。さらには相反する内容の記事のどちらが真実に近いかさえも見えるようになるかもしれない。

 

『芸人式新聞の読み方』は、誰が読んでも目から鱗が落ちる発見がある、楽しいメディアリテラシーの本なのだ。

 

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