つぶやきコミューン

立場なきラディカリズム、ツイッターと書物とアートと音楽とリアルをつなぐ幻想の共同体
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燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

インターネットでの公開時より話題騒然となった燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)は、1990年代後半の東京を舞台とした青春回想小説、いわば世紀末版「日々の泡」である。

 

フェイスブックを見るうちに、見つけ出した昔の恋人の名前。決して美人ではないけれど、誰よりも好きになり、大きな影響を受けたあの女性の名前を、ボクは意に反して、友達申請のボタンをクリックしてしまう。そこから奔流のように蘇る20年前の思い出。

 

高校卒業後広告の専門学校は出たものの、希望通りの就職先など望むべくもなく、就職先はエクレアの工場。そのころ雑誌の文通欄で出会ったのが、小沢かおりと名乗る女性だった。1995年の夏、六本木のテレビの製作会社への転職を決めると、彼女と円山町のラブホテルでデートを重ねる。やがて、会社はブームに乗り、17店のカフェバー経営者として時代の寵児となった佐内慶一郎にも接近する中で、ボクが出会ったもう一人の女性スー。彼女は、佐内の愛人と噂されるが、その実は五反田を拠点に暗躍する組織のメンバーでもあった。工場の唯一の同僚だった七瀬は、ゴールデン街のバーのママとなったが、バブルの狂乱の余熱のような状態は長くは続かなかった。佐内は、国税の査察とスキャンダルで失墜し、スーも行方不明となる。ノストラダムスの大予言が終末を告げた1999年の夏、人類は滅亡しなかったが、やってきたのは誰よりも好きだったブスの彼女との別れであった。

 

フェイスブックの友達申請を目にした彼女はいったいどんな反応をするのだろうか。再び出会うことがあるなら、あのとき言えなかったあの言葉を伝えたい…

 

二時間もあれば読めてしまう決して長くない小説だが、その中には1990年代後半のバブルの余熱のような時代の雰囲気が感じられて、それが私たちの心の中で様々な連鎖反応を引き起こす。地続きになった同じ時代を自分も生き、同じような恋をして、同じように狂ったように仕事をしていた、自らの初心で恥ずかしい姿をつい思い浮かべてしまうのが、このヒットの理由だろう。

 

たとえばこんな文章。

 

 1995年の夏の終わりに彼女に出会って、秋の初めにはもう彼女への気持ちは引き返せない場所にいた。

 イチローがベストナインとゴールデングラブとなった年、同い年のボクのハイライトは人生初の彼女と人生初の転職、つまり工場を辞めたことだった。p32

 

あるいはこんな文章。

 

 1997年夏、彼女のこの頃の関心事は『エヴァ』一色だった。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを君に』。やたら張り切って前売りを買っていた彼女に誘われて、深夜の新宿ミラノ座の最終の回にふたりして飛び込んだ。彼女は映画の中盤からあからさまに寝ていたくせに、エンドロールが流れ劇場が明るくなると、「やっぱりいいね」なんて言って笑った。内容はまったく思い出せないけれど、思い出せないから、あの映画は今でもボクの青春だ。p98

 

きわめつけはこんな文章。

 

 会社自体が、来る仕事をなんでも受けなきゃいけなかったあの頃、ボクたちはどんな人種からの仕事もよくこなしていた。その中で最も下品な種類の人たちが、この東京という町に心底愛され、馴染み、巣食っていることに、ボクは気づかざるをえなかった。pp93-94

 

決して特別な出来事が語られているわけではないが、鋭い言葉の切り口で、時代の断面を切り取り、それがかつてのわたちの痛々しくもいとおしい記憶を刺激し続けるのである。

 

LINE、フェイスブック、ツイッター…SNS全盛の時代、数年前、数十年前の過去との遭遇の入り口は、無数に私たちの前に開けている。その中に見い出される過去の自画像の豊かな可能性に気づかせてくれた『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、2010年代を代表する都市小説の傑作である。

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