JUGEMテーマ:自分が読んだ本 文中敬称略 ver,1,1
『劇場』(新潮社)は、芥川賞作家にしてお笑い芸人又吉直樹の小説第二作、演劇のメッカ下北沢周辺を舞台に、売れない劇作家と女優の卵との恋を描く青春小説である。
関西出身の永田が青森から出てきたばかりの沙希と出会ったのは、原宿と渋谷の間の、画廊前の通りだった。この人なら自分のことを理解してくれるのではないかと追いすがり、強引に会話を始める。「靴、同じやな」が最初の言葉だった。知らない人に話しかけるのははじめてだった。迷惑そうにされながらも、ぎこちない会話を続け、なんとかカフェでおごってもらうことに成功する。
その上唇の形状を元に、その人が幼かった頃から今日まで2、どのような生活を送り、どのように容貌を変貌させてきたのかがわかった。これは、気のせいではなかった。この人を生まれた時から知っていて、間近で人生を見守ってきたことと等価の感覚をこの瞬間に得たのだ。p14
自分がやっている劇団に永田が沙希を誘ったのをきっかけに同棲するようになった二人。だが、稼ぐよりも出てゆく方が多いのが演劇界の常。アルバイトをしても追いつかず、結局沙希の親の仕送りで生活する羽目に。それでも、沙希は永田の才能を信じ、永田は自分のすべてを受け入れてくれる沙希に、うまくゆかない脚本や舞台の憂さ、沙希の交友関係への疑念、ありったけの感情をぶつけ続ける。その鬼気迫る言葉の嵐に、いつしか二人の関係にも齟齬をきたし始める。その行き着く先は?
永田の狂気に満ちた言葉の嵐も悲惨なら、それでもついてゆこうとする沙希のけなげさも痛々しい。けれども、都会へ出てきた田舎者の肥大した自意識は、多くの人が経験があり、他人事として笑って済ませることができない何かである。
二人が、何の描写もなくあっさりと最初のハードルを越えてしまい、その後の生活が中心となる神田川的な設定なので、恋愛ものとしては物足りない部分もあるかもしれない。あくまで十分なはけ口を得ることができない過剰な自意識のぶつけ合いによる、男と男、男と女の心が血を流すような言葉のバトルが中心なのだ。
『火花』の小気味よいテンポの速さ、芸人世界の浮き沈みをドラマに比べると、くすぶり続ける演劇青年の恋は、いささか地味な世界に見えるが、泥くさいまでのリアルさが又吉の作家としての成長を感じさせる。この先、又吉直樹はどの方向へと進むのだろう。洗練された都市小説とは対極の世界を又吉は志向しているように思われる。けれども、『劇場』に登場する多くの地名、克明に描き込まれた地理のディテールには、又吉の東京への深い愛が感じられる。『劇場』は、場所の生活感、リアリティに痺れる小説でもあるのだ。
関連ページ: