つぶやきコミューン

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乙野四方字『君が愛したひとりの僕へ』『ぼくが愛したすべての君へ』

JUGEMテーマ:自分が読んだ本  文中敬称略

 

 

乙野四方字『君が愛したひとりの僕へ』『僕が愛したすべての君へ』(早川書房)は、2016年に同時に発売された平行世界(パラレルワールド)もののラブストーリー、いずれも 日高暦/高崎暦を主人公とした長編小説で、二作で表裏一体となっている。

 

著者は、どちらから読んでもよいと述べているが、やはり因果関係上、『君が愛したひとりの僕へ』が先の方がベターだろう。『僕が愛したすべての君へ』の最初と最後は、『君が愛したひとりの僕へ』の物語の、交差点の幽霊を知った上でないと唐突で面食らうし、この順番で読んだ方がより幸せな気分になれる。そもそも、『僕が愛したすべての君へ』の冒頭が、なぜ七十を過ぎ死にかけの老人である「僕」の独白から始まるかも理解に苦しむはずだ。その手がかりはすべて『君が愛したひとりの僕へ』の中に書かれているのだ。

 

「平行世界」というと、荒唐無稽な作り話と思われるかもしれないが、それはたとえ私たちの意識が平行世界の間を移動しても、その差がわずかであり、ほとんど気づかれることはなく、実は頻繁に平行世界の間の移動は起こっているのかもしれない。つまり、置いたはずの物がなくなっているとか、約束していないスケジュールがあったことに気づくとかも、実は思い違いなどではなく、平行世界の間の移動と言えないこともない。だが、もちろんそうした言い訳はこの世界では通用しない。私たちは平行世界を移動していないのではなく、平行世界を移動したことを証明するすべを持っていないのだ。

 

 この世界には数多くの平行世界が実在し、人間は日常的に、無自覚にその平行世界間を移動している。移動は物理的に肉体が移動するわけではなく、意識のみが平行世界にいる自分と入れ替わる形で行われる。この時、時間は移動しない。

 近くの平行世界ほど元の世界との差違は小さく、極端な例では、一つ隣の世界とは朝食が米だったかパンだったか程度の差違しかない。

 また、近くの平行世界ほど無自覚に移動してしまう頻度は高く、移動している時間は短い。これらが人々が平行世界間移動に気づかない理由である。そのため「あそこにしまったはずのものがない」「一度探したはずの場所から探し物が出てくる」「約束の日時を勘違いしていた」などの、いわゆる記憶違い、勘違い、物忘れといった現象が起こる。

 ごくまれに、遠くの平行世界へ移動してしまうケースもあると思われる。遠くの世界ほど元の世界とはかけ離れており、そこへ移動してしまった人間は、自分があたかも異世界に迷い込んだかのように思うはずである。

 この平行世界間移動のことを『パラレル・シフト』と名付ける。

(『君を愛したひとりの僕へ』)

 

  この世界には数多くの平行世界が実在し、人間は日常的に、無自覚にその平行世界間を移動している。移動は物理的に肉体が移動するわけではなく、意識のみが平行世界にいる自分と入れ替わる形で行われる。この時、時間は移動しない。

 近くの平行世界ほど元の世界との差違は小さく、極端に言えば、一つ隣の世界とは朝食が米だったかパンだったか程度の差違しかない。

 また、近くの平行世界ほど無自覚に移動してしまう頻度は高く、移動している時間は短い。これらが人々が平行世界間移動に気づかない理由である。そのため「あそこにしまったはずのものがない」「一度探したはずの場所から探し物が出てくる」「約束の日時を勘違いしていた」などの、いわゆる記憶違い、勘違い、物忘れといった現象が起こる。

 ごくまれに、遠くの平行世界へ移動してしまうケースもあると思われる。遠くの世界ほど元の世界とはかけ離れており、そこへ移動してしまった人間は、自分があたかも異世界に迷い込んだかのように思うはずである。

 この平行世界間移動のことを『パラレル・シフト』と名付ける。

(『僕が愛したすべての君へ』)

 

一見二つの作品に共通しているように見える、そっくりな二つの文章自体が、実はパラレルワールドの実例となっている。

 

『君が愛したひとりの僕へ』『僕が愛したすべての君へ』も、平行世界の科学的研究が進み、今いる場所がどの平行世界にいるかを測定したり、人生の大事な場面において平行世界を勝手に移動したり、犯罪に利用したりできないようにする、さまざまな技術も開発されつつある時代の話である。主人公の日高暦や佐藤栞の親も、その関係者という設定になっている。

 

『君が愛したひとりの僕へ』では、日高暦の両親は離婚し、研究所に勤める父親は再婚を考えている。しかし、その相手というのが佐藤栞の母でもある研究所の佐藤所長であった。すでに研究所に入りこみ平行世界間の移動(パラレル・シフト)をひそかに経験したりする中で、知り合い互いに好意を抱き始めた二人は、自分たちが兄妹になることにショックを受ける。そして、研究所の施設を利用して両親の再婚しない世界へと逃れようとする。だが、それが悲劇の始まりだった。物語の中盤以降は、すべてこのエラーを何とか修正するための暦たちの努力にあてられている。その結果、一体、何が得られ、何が失われることになったのか。

 

その物語を受ける形で、『僕の愛したすべての君へ』はスタートする。この世界の暦は、同じようなエピソードを経験するが日高姓ではなく高崎姓を名のり(つまりパンとご飯のちがい)、すでに死期を予期した七十を過ぎる老人になっている。そして、交差点に行き、ある約束を果たそうとする。そして、幼いころより自分が経験した過去のパラレルシフトを語り始めるのである。この世界は、『君が愛したひとりの僕へ』の日高暦が望んだ世界である。そこには佐藤栞はもはや出てこない(ように見える)。代わりに、ヒロイン、恋物語の相手となるのが、『君が愛したひとりの僕へ』では、暦を愛しながらも研究のパートナーに甘んじた瀧川和音である。

 

高校では同級生であり、一二位を争う優等生であった暦と和音。暦はいきなり別の平行世界から来たという和音から、恋人である向こうの世界の暦と破局するのを止める相談を受ける。その和音は、85番目の平行世界の住人であるらしかった。この事件を機に、しだいに愛し合うようになる二人。しかし、頻繁にパラレルシフトを経験する暦に一つの危惧が生じる。もし、別の世界から来た和音を自分が愛したら、別の世界の自分がパラレルシフトしたこの世界の和音を愛したとしたら…その考えに暦は耐えられないものを感じる。平行世界の自分ははたして自分であるのか、この哲学的な問題を、時間の流れの中で、『僕の愛したすべての君へ』は掘り下げてゆくのである。

 

『君が愛したひとりの僕へ』でも、『僕が愛したすべての君へ』でも、現実的にはありえないような状況が主人公たちの身に起こり、追い詰める。平行世界の中で迷子になった魂をいかにサルベージするのか、平行世界の別の恋人を愛すべきなのか、あるいは恋人が平行世界の別の自分を愛することを許すべきなのか。未来世界の考えたことのないような状況の中で、愛することの切なさが呼び覚まされ、アップデートされる。

 

SF的設定によるリアリティの不足を補うように、二作とも大分県大分市が舞台となり、聖地巡礼となりそうな場所も、昭和通り交差点や、霊山展望台や田ノ浦ビーチなどをはじめとしていくつも登場する。そのことで、ずっと物語を身近に感じる人もいることだろう。

 

SFのみが可能にする新たな状況は、愛に新たな光を投げかけ、新たな感情を引き起こす。『君が愛したひとりの僕へ』『僕が愛したすべての君へ』は、SFファンだけでなく、より広いファンを獲得するであろう恋愛小説の傑作である。

 

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