■ふれんどとは何か?
子供たちは様々な傷を抱えながら、大人への階段を上がってゆく。
一人ぼっちの寂しさ、親や先生の叱責、体罰、周囲の子供によるいじめ。
そんな時、心の中に空虚をかかえた子供たちは、自分だけの話し相手をつくろうとする。それは、ペットであったり、人形であったり、アニメのキャラであったり、ゲームの中のキャラであったり、様々な形をとる。
心のマイナスの部分を補償するそうした存在を、目に見える形にしたらどうなるか。村上隆監督による映画『めめめのくらげ』は、彼らふれんどと少年たちが繰り広げるファンタジー映画である。
ふれんどは、それぞれの子供の好みや環境によって様々な形をとる。
主人公の正志は、津波で父親を失った。父親はチーかまを作る工場で働いていた。正志は孤独をまぎらすために、海に浮かぶくらげにチーかまをやる習慣があった。
だから、チーカマが大好物のくらげ坊が現れてくるのである。
『めめめのくらげ』において、ふれんどは少年たちの純真な部分も、暴力的な部分も表す。当然のことながら、彼らはその持ち主に性格が似るのである。
メンコやカード、昆虫を戦わせるように、少年たちはアバターとして、ふれんどを戦わせるが、エスカレートするといじめにまで至ることもある。
ふれんどの存在を画面から消し去った時、そこにあるのは子供たちの日常生活そのものであり、村上隆はその光景を意識的に再現してみせるのである。
ふれんどは、神道で言う奇霊(くしみたま)、直感や知性のはたらきであり、意識のフォーカスする先端で行動する。そして、その動きはまた陰陽師の式神(しきがみ)そのものでもある。研究所を支配する四人の若者が、青竜、白虎、朱雀、玄武と呼ばれるのも理由のないことではないだろう。
ふれんどを操る少年たちは、現代版の陰陽師であるけれど、その力を悪用しようとする大人たちが、平安の世の権力者同様に存在する。それが、科学の仮面をまとった研究所の人たちである。そして、その対立項として、この研究所が世に災いをもたらすものであると反対する新興宗教の人たちがいる。
『めめめのくらげ』において、村上隆は、少年たち、研究所の人たち(科学)、宗教の人たちの三つ巴の戦いの構図を導入する。これは、宮崎駿が『もののけ姫』において、行った武士の集団、山の人々、自然とともに生きるものたちの三つ巴の戦いをヒントにしたものだろう。
■ジュブナイルの王道
異世界の存在と出会うことで、少年が冒険を行い、苦難を乗り越えながら、成長してゆくという物語は、一種の王道ジュブナイルストーリーである。
それは、アメリカでは『ET』に代表され、日本ではガメラシリーズに代表されるある神話的構造を持っている。そして、この二つの物語は、空を飛ぶ夢の実現という共通項を持っている。
出会い→友情→隠蔽と発覚→敵の出現→戦い→勝利→別れ
エンディングには多少のひねりがありますが、『めめめのくらげ』もまさにこの神話的構造にそって作り上げられた物語であり、それゆえに家族みんなが楽しむことができるストーリーである。
さらに、もう一つのストーリー、ボーイ・ミーツ・ガールがこれに加わります。
父親を失った正志と、家庭内離婚で母親が宗教に走る咲の、ふれんどを介した出会い。
まさに『天空の城ラピュタ』のバズーとシータのように、あるいは『交響詩篇エウレカセブン』のレントンとエウレカのように、空を飛ぶ夢と救出の中で、物語はクライマックスを迎えるのです。
■アートと映画の融合
日本のコミックやアニメーションの世界に大きな影響を受け、それをアートの世界で表現することに成功した村上隆。そうした世界への憧れと同時に挫折が、彼のキャリア形成の一つの柱をなしている。
他方において、怪獣映画やウルトラマンシリーズの影響もあった。彼は、破壊の背景に登場する大人たちの不条理な世界に強い印象を受けたとも語っている。
アニメで表現すべきか、実写で表現すべきか。
最終的に、村上隆が選んだのは、アニメ的なキャラを、CGを大幅に取り入れた実写映画で表現する道だった。
多くのふれんどは、あるものはジブリのキャラクターに似、あるものはピクサーのキャラクターに似ている。サイズの大きなるくそーも若干その傾向があるが、特に巨大なオーバルのみが東宝の怪獣映画や、ウルトラマンシリーズのようなリアルで不気味な質感を持って現れる。
クライマックスは、アニメキャラと実写キャラ、かわいいものと恐ろしいものの戦いでもある。
最終的に、この選択は成功したと言えるだろう。
アートなキャラクターを三次元化し、自在に動き回らせることで、村上隆の夢は里帰りしたとも言える。
少年時代の神話的空間の中に、アイドルであったキャラを進化させ、活躍させる夢の実現が『めめめのくらげ』であり、それゆえにディテールに踏み込むと語りつくせない内容を持った作品と言えるのである。
Stay foolish,stay hungry.
ジョブズの言葉そのものの、その愚かなる試みに今は大いなる拍手を送りたい。
あまりに仕上げにこだわりすぎ、試写会で完成品を出せなかったゆえに、不運な上映スケジュールとなった『めめめのくらげ』だが、予定されるPART2、PART3の幸運を祈りたいと思う。
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@シネマメディアージュ 2013/05/07
■アニメーションによるもう一つの『めめめのくらげ』:村上隆作詞・作曲「めめめ音頭」
【物語の途中までのあらすじ】…中盤以降の展開はぼかしていますが、これから映画を見に行こうという方はご遠慮ください。
津波で父親を失った少年正志が、母靖子とともにある町へ引っ越してきます。
その町には怪しい研究所があって、少年の叔父直人もそこに勤めています。
四人の黒マントの人が支配するその研究所には、魔方陣があり、そこでの研究は、子供たちの負のエネルギーを集め、実体化することでした。
それを彼らはふれんどと呼んでいました。
正志のもとにも、くらげのような不思議な生物が顔を現します。自由に空を飛び回り、チーかまが大好物のくらげ坊です。正志とくらげ坊はすぐに仲良くなります。
母親には、内緒でくらげ坊を鞄の中に入れ、新しい学校に登校してみると、クラスメートはみなふれんどを持っていて、先生の目を盗んで、授業中に壮絶なバトルを繰り広げているのでした。
正志のくらげ坊は、クラスの番長的存在である竜也のふれんどユピに勝利し、それを快く思わないクラスメートたちは、神社の境内で正志を取り囲みいじめます。その窮地を救ったのはクラスの女生徒、咲とそのふれんどるくそーでした。
咲は、母親に連れられ参加した新興宗教の集会に居心地の悪さをいつも感じていました。そこから抜け出し、正志と行動をともにするうち、研究所に忍び込むはめになります。
研究所の人たちは、正志の負のエネルギーの強さに目をつけ、彼を窮地に追い込み、エネルギーを取り出そうとします。
彼らの悪巧みが功を奏し、巨大なふれんど、オーバルが現れ、正志は仲たがいしていたクラスメートと力を合わせ、自分たちのふれんどによってオーバルに絶望的な戦いを挑むのでした…