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國分功一郎「100分de名著 スピノザ 『エチカ』」

 文中敬称略

 

 

「100分で名著 スピノザ 『エチカ』」(NHK出版)は、NHK(Eテレ)のテレビ番組「100分で名著」のテキストですが、「哲子の部屋」の単行本のような対話の収録形式ではなく、講師である國分功一郎の書き下ろしのかたちをとった哲学書となっています。

 

放送を見る、見ないにかかわらず、単独で読み、スピノザの主著である『エチカ』とスピノザの生涯を理解できる構成となっているのです。

 

哲学を一般向けにわかりやすく解説する場合、実は語りやすい哲学者とそうでない哲学者があります。

 

たとえばニーチェやサルトルなど実存主義の哲学は、人生論的に理解できるので、理解しやすい哲学でしょう。

プラトンも、対話の中で、具体例をたっぷりに、真や美など基本的な価値について議論しているわかりやすい哲学に入るでしょう。

ルソーのような社会哲学も、教育にせよ、土地所有の話にせよ、具体的な場面が思い浮かぶ中で賛否が争われる、わかりやすい哲学です。

 

その中で、わかりにくい、あるいは説明しにくい哲学者の一人として、スピノザがあげられます。

 

同時代のデカルトが、ゴギト・エルゴ・スム(われ思うゆえにわれあり)というとても記憶しやすい物語とともに紹介され、わかりやすい哲学の一人とされているのに対し、スピノザは、難解な哲学と扱われがちです。

 

スピノザの哲学は、デカルトと同じいくつもの言葉を使っていても、まったく異なった用法で、用いているのです。

 

 スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった別の方向を向きながら思索していたからです。やや象徴的に、スピノザの哲学は、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学であると言うことができます。

 そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別のあり方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです。

p6

 

デカルトの主体の概念は、「近代」の基礎となった概念ですが、スピノザは意志に行動が従属するようなものとして、主体を考えませんでした。力の有無によって、能動と受動がわかれるような場として主体を考えたのです。また、神についても、スピノザが抱いたのは、わたしたち人間を含めて、世界全体に遍在するシステムとしての神の概念でした。

 

デカルトと互換可能な哲学ではなく、同時代でありながら、一種パラレルワールドをかたちづくっていたのがスピノザの哲学なのです。

 

それを國分功一郎は、OSの違いにたとえます。

 

ーーーたくさんの哲学者がいて、たくさんの哲学がある。それらをそれぞれ、スマホやパソコンのアプリ(アプリケーション)として考えることができる。ある哲学を勉強して理解すれば、すなわち、そのアプリにあなたたちの頭の中に入れれば、それが動いていろいろなことを教えてくれる。ところが、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない。なぜかというと、スピノザの場合、OS(オペレーション・システム)が違うからだ。頭の中でスピノザ哲学を茶道させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない…。

「ありえたかもしれない、もう一つの近代」と言う時、私が思い描いているのは、このようなアプリの違いではない、OSの違いです。スピノザを理解するには、考えを変えるのではなくて、考え方を変える必要があるのです。p7

 

もっとわかりやすく言いかえるなら、デカルト哲学がWindowsであるとすれば、スピノザはThink differentを可能にするAppleのOSです。

 

スピノザは、一切の欺瞞なく、透徹した知性によって、人間の内と外、宇宙を、自然を、世界を、一つの原理によって説明しようとした天才でした。その神の概念を、自然や宇宙に置き換えてみれば、今日でも何の違和感をなく、自分の内外の出来事を説明できるように書かれています。その先進性ゆえに、彼は教会から破門され、テロリストによって襲撃されたり、死後出版された著書も禁書になったりとさまざまな迫害を受けてきたのでした。

 

このテキストの中で、國分功一郎は、善悪、本質、自由、真理の四つの基本概念を説明することで、スピノザの哲学の概要を紹介してゆきます。ベント―(ポルトガル語)・バールーフ(ヘブライ語)・ベネディクトゥス(ラテン語)という三つのファーストネームのそれぞれの中に、スピノザの人生の異なる面を見出すつかみも最高です。

 

スピノザを読んだことのない人は、その世界の新鮮さに驚くはずです。そして、すでにスピノザの著書に接したことがある人は、長年の疑問が解消したり、半分わかったように思っていた概念の誤解に気がついたりすることでしょう。そして、それまでばらばらだった知識が、一つのまとまった絵となって浮かび上がってくるのを感じるはずです。

 

「100分 de 名著 スピノザ エチカ」は、(著者の近著『中動態の世界』の成果まで踏まえた)現代的な視点で、中学生にもわかる平易な言葉で、スピノザの哲学の核心部分を100ページほどでわかりやすく語った小さな名著なのです。

 

  Kindle版

 

関連ページ:

國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』
國分功一郎『民主主義を直感するために』
・國分功一郎監修『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」 2(A〜F)
國分功一郎『近代政治哲学』
國分功一郎監修『哲子の部屋 供
國分功一郎監修『哲子の部屋 機
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(1) (2)
國分功一郎『哲学の先生と話をしよう』
國分功一郎『来るべき民主主義』
國分功一郎・古市憲寿『社会の抜け道』(1) (2)
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(1) (2)

 

千葉雅也・東浩紀『実在論化する相対主義ーーーマルクス・ガブリエルと思弁的実座論をめぐって』(ゲンロンβ28,29より)

 文中敬称略

 

 

「実在論化する相対主義ーーーマルクス・ガブリエルと思弁的実座論をめぐって」は、2018年3月25日にVOLVO STUDIO AOYAMAで行われ、ゲンロンのメルマガである「ゲンロンβ28」「ゲンロンβ29」に二回にわたって掲載された思弁的実在論をめぐる千葉雅也と東浩紀の対談である。思弁的実在論とは、認識する主体から離れて、モノが存在するという哲学的思潮であり、ポストモダン以降の哲学の流れの一つである。

 

まず2018年1月に邦訳出版されたマルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないか』に対する評価よりスタートする。

 

次作への発展の余地を留保しながらも、千葉雅也は「Aさんから見た山」も「Bさんから見た山」も同じように実在するとするガブリエルの発想を、80年代のポストモダニズムの発想の域を出ていないとするのである。

 

千葉 彼自身は、ポストモダニズムを構築主義であると見なしたうえで、そこに「実在論」を導入することで構築主義を乗り越えたと主張する。しかし、その全体がかつての議論の反復のように見える。

 別の言い方をすれば、すべてのものに実在の身分を与えようという議論なんですよね。

 

そうした上で、思弁的実在論全般の特徴へと進みながら、それを現代思想の中に位置づけるのである。

 

ポストモダニズムにおける「多様性へ」というメッセージは、真理はひとそれぞれであるという「相対主義」との批判を生んだが、思弁的実在論の登場は、「ポストモダニズムの相対主義的な側面の乗り越えの動き」であると千葉雅也は語る。

 

思弁的実在論の最初の論者は、カンタン・メイヤスーである。メイヤスーは、カント以降哲学が陥った「相関主義」という袋小路から抜け出す道筋を探求する。メイヤスーの考え方の見事な要約がここにある。

 

千葉 メイヤスーは。カント以後の哲学は、世界そのものというよりも、わたしたちが世界を認識するための枠組み、すなわち思考のフレームワークばかりを研究してきたと批判します。カント的な立場では、哲学的な問いが「わたしたちにとって世界はどうあるか」という問題に限定されてしまい。それ以上は問えなくなる。メイヤスーはそのような限界を抱えたカント以降の哲学を「相関主義」と名付けます。認識の枠組みと世界が「相関」する、それが基礎になっているからです。

 メイヤスーはこの相関主義を批判し、それを突破するための「実在」を追い求める。わたしたち人間と無関係な、非人間的な、いわば無人の世界における実在に、なんらかの方法でアクセスしようと試みる。それがメイヤスーの哲学です。

 

思弁的実在論のムーブメントは、このメイヤスーの問題提起を受けて、2007年にロンドン大学で行われた「Speculative Realism」というタイトルのワークショップが行われたことに起因する。このワークショップのメンバーは、レイ・ブラシエ、メイヤスー、ハーマン、イアン・ハミルトン・グラントであった。それにともない、現代思想の中心もパリからロンドンへ移ることとなった。

 

思弁的実在論は、ポストモダニズム以降の思想的停滞を打破するものとして現れてきたことを、東浩紀も評価する。

 

とはいえ。思弁的実在論は、その担い手のハーマンや、ブランシエが辺境の大学に勤めていたり、ネットで拡散したりするなど、マイナーな流れであり、ポストモダニズムの再来を期待することは困難だろう。

 

千葉 つまり、思弁的実在論は、そもそもが哲学の主流からドロップアウトしてしまった現代思想から、さらにドロップアウトしているわけです。

 

メイヤスーが相関主義批判によって主張したいのは、実は唯物論であると千葉は言う。

 

千葉 メイヤスーは「真の実在」を思考する方法として数学を特権化します。現代の物理学は数式の集合体ですが、数的なものこそほんとうの実在だとメイヤスーは主張する。数的なものこそが人間の外部にある実在だというのがメイヤスーの基本的な立場です。

 

これに対して、グレアム・ハーマンの哲学は、事物をすべてオブジェクト=対象ととらえようとすることより、「オブジェクト指向哲学」と呼ばれる。

 

ハーマンは、それぞれのオブジェクトが絶対的に分離し、独立していると考え、この状態を「ひきこもる」と呼んでいる。

 

千葉 ハーマンの考えでは、オブジェクトがバラバラにひきこもって存在する水準こそが「実在的」である。逆にオブジェクトとオブジェクトが関係する水準は感性的な世界にすぎない。だからハーマンは、さまざまなオブジェクトが表面的なレベルではつながっていてもじつはバラバラである、という二部構造を用いて世界を説明する。

 

思弁的実在論とあわせて千葉が紹介するのは、思弁的実在論に影響を受けた政治理論であるニック・スルニチェクの「加速主義」である。

 

その主張は、ひと言で言えば、フォークポリティックス(民衆政治)とは逆に、情報技術の進化を敵視するのではなく、むしろ「加速」を肯定する立場にたつべきとすることにある。

 

千葉 それに対して加速主義者は、人間が情報技術や数理に疎外されるディストピア的状況を積極的に肯定し、その果てにこそユートピアを実現させるという方向に振り切れるべきだと主張するわけです。

 

加速主義について、東はフォークポリティクス批判には共感できるものがあるものの、スローガンが抽象的で、実装のプロセスが見えてこないとするのである。

 

また、「人新世」という言葉も流行しつつあるが、これは人間の活動が与える地質学的影響を考慮すべきという主張であり、それを唯物論の復活であると東はみなしている。(以上「前編」ゲンロンβ29)

 

 

(以下「後編」ゲンロンβ28)

 

以上を踏まえて、マルクス・ガブリエルの哲学を再考してみると、実は同じ実在論と言っても、思弁的実在論とガブリエルの考えは正反対であると千葉は指摘する。

 

ガブリエルは、自然科学の素粒子の世界も、特定の文学作品も、一角獣のような虚構の存在も、同じ「意味の場」としてとらえ、多様なものの見方からそのまま実在へと飛躍してしまう。そして「世界」のような、それらを包括する全体の集合は考えることができない(=世界は存在しない)とするのである。

 

ポリティカル・コレクトニスの主張には便利な哲学であるが、逆にヘイトやレイシズムにも転用可能な危険をはらんでいる。また、悪しき相対主義にも陥りかねないと千葉は警告する。

 

千葉 かつてのポストモダン的な相対主義が、見ようによってものごとはちがって見えるという話だったのが、ガブリエルの場合「見ようによっては」と言われていたものが、見ようによらずともすべて実在しているという話になってしまう。つまりガブリエルの哲学は「相対主義の実在論化」なんですよ。そして、この相対主義の実在論化とは、ポスト・トゥルースそのものです。

 

さらに、思弁的実在論と東や浅田彰などの日本の現代思想との関わりを、千葉は指摘する。

 

それによれば、日本の現代思想は思弁的実在論を先取りしており、東のデリダ論である『存在論的、郵便的』(1998)における否定神学批判は、メイヤスーの相関主義批判と本質的に同じものであるとするのである。

 

千葉 つまり、『存在論的、郵便的』の試みとは、思考と世界の相関とその外部の不可能なものという構図があり、その不可能なもののさらなる外部、もうひとつの外部を探求していく試みだったのではないか。この二番目の外部が、思弁的実在論と東浩紀の共通の問題になっている。

 

これを受け、『存在論的、郵便的』を「哲学がとりこぼす物質性を探求した本」ととらえなおした上で、東は自らの立場を次のように要約している。

 

 哲学の歴史においては、素朴な物質性に直面することが、いつのまにか不可能なものに直面するという別の問題にすり替わることが反復されている。その反復から身をかわし、つねに世俗的なもの、身もふたもない単純さに立ち返らなければならないというのが、ぼくの思想なんです。

 

だが、東の議論はそこで止まることなく、「誤配」の哲学とのつながりを論じることになる。

 

ガブリエルは一角獣を実在とするが、東浩紀はそれを人間の中で不可避的に生じるエラー、誤配であるとする。さらに、『ゲンロン0 観光客の哲学』でとりあげた家族=ネーションについても、その文脈で語ることになる。

 

家族とそれ以外の境界はきわめて曖昧で、それはそのままネーションの境界につながる。ネーションの謎は家族の謎なのである。『ゲンロン0 観光客の哲学』の核心部分が明らかにされる。

 

 家族とネーションの問題とは、人間はなぜ境界をつくるかという問題、そのものです。『観光客の哲学』は前半で、友敵の境界の脱構築をテーマにした。だから後半では、ひとがなぜそもそも境界をつくるのか、そしてひとがどうしても境界をつくらなければならないだとすれば、その思想をどこまで自由なものに変えられるのかという話をしたかった。つまり、家族=境界の概念そのものを変えたかった。これはいま、政治的にも大きな意味を持つ試みのはずです。

 そして結論から言えば、ぼくは家族=ネーションとは一種の「誤配」、エラーだと考えたいわけです。けっして実在はしない。しかし同時にけっして逃れられないエラー。そのように自覚することで、ぼくたちは家族=ネーションの概念と、もっとうまくつきあうことができる。

 

「実在論化する相対主義ーーーマルクス・ガブリエルと思弁的実座論をめぐって」は、今日まで日本でなされた、思弁的実在論の、最もクリアで最も俯瞰的にして簡潔な解説である。それはマルクス・ガブリエル、ハーマン、メイヤスーの思想を位置づけ、それぞれの輪郭をわかりやすく伝えるだけでなく、日本の現代思想の思弁的実在論とのつながり、さらには東浩紀の『存在論的、郵便的』から『ゲンロン0 観光客の哲学』に通底する思想の核心部分まで明らかにする。まさに「神回」と呼ぶにふさわしい対談なのである。

 

関連ページ:

 

 

 

 

NewsPicks Magazine Autumn 2018 vol.2 [ニューエリートの必読書]

JUGEMテーマ:自分が読んだ本

 

 

幻冬舎より発行の『NewsPicks Magazine Autumn 2018 vol.2』は、「ニューエリートの必読書500」と題し、各界の著名人や専門家がセレクトした必読書の特集がメインとなっている。

 

創刊号のあまりの充実ぶりに、vol.2以降の息切れを心配したが、単に国内だけでなく、アメリカ圏を中心に世界をカバーする挑戦的なスタイルはいささかも失われていない。

 

NewsPicksというと、意識高い系のサロン的な世界で、自己啓発書が中心と思いがちである。基本的にノージャンルである前田裕二の項こそそうした読者へのサービス的な部分もあるが、『孫子』『韓非子』『論語』など中国の古典が並んでいるのが特に目を引く。

 

前田の性善説と性悪説の咀嚼の仕方が優れている。

 

―ー韓非子的ソリューションというのは、性悪説に基づいてルールを強化することですか。

 厳密に言うと、性悪説というよりは、性弱説ですね。

 性悪説を最初に唱えた荀子も、人間が本質的に悪なのではなくて、環境によって悪に善にも変わってしまう、つまり弱い生き物なんだと考えていたのだと思います。

 性善説は性悪説は両立し得ないのですが、僕は、性善説と性弱説は両立すると思っています。つまり、「人は善く弱い」と捉えているのです。p14

 

他の著者に関しては、ハイブロウな教養人対象のチョイスであり、特に文学の項を譚とした佐渡島庸平がNewsPicksの読者層に触れた部分が興味深い。

 

 NewsPicksの読者は、すぐわかるものを読みたがる。読むと仕事のやる気が出る本も好きですよね。でもそのやる気はたぶん一日で消えてしまう。要するにテンションを上げる本なんです。テンションを上げるだけなら音楽を聴いた方がいい。p85

 

そう述べた上で、語り得ぬものを物語の形式で語ろうとする小説の意義を伝えようとするのである。

 

テクノロジーの分野を落合陽一が、統計学の分野を『統計学は最強の学問である』の西内啓が、経営の分野を楠木健が、英語の分野を同時通訳として定評のある関谷英里子が、アートの分野を『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の山口周が、そしてSFの分野をHONZ代表の成毛眞が執筆し、それぞれの視点からなぜそれらの本が選ばれたかが語られる。

 

たとえば、近著『デジタル・ネイチャー』でも援用されるノーバ―ト・ウィーナーの『サイバネティックス』に関して、落合は

 

 なぜ現代においても、こんなに古い本を読む価値があるかというと、ウィーナーのように思考をまとめようとする哲学のスタイル自体が面白いからです。時代を超えた価値があるのです。p32

 

と語っている。

 

西内啓は、統計学の入門書として、アラン・ダブニーとグレディ・クラインの『この世で一番おもしろい統計学』をあげながら、

 

統計学の一番のキモは、目の前のデータを集計したり平均を取ったりすることではなく、データの背後に潜む仕組みや法則を推測すること。多くのビジネスパーソンがわかっていないこの点を、マンガ(日本人好みの絵柄ではないが)と図解を使ってわかりやすく解説する。p56

 

とその長所を強調する。

 

楠木健は、小倉昌男の『経営学』と馬場マコトと土屋洋の『江副浩正』を並べてあげながら、両者の比較の面白さに言及している。

 

何が面白いかというと、彼の人生は途中まで、ものすごく小倉さんと似ている。本当にロジカルに全体を俯瞰して、それまでの業界の思い込みにとらわれることなく、まったく新しいビジネスを組み立てた。

 ところが、ご存じのように江副さんは人生の後半でトチ狂ってしまう。リクルート事件はその氷山の一角で、本来のイノベーターとしての輝きを失い、割と筋が悪いことをどんどんやるようになるんです。p64

 

こうした江副の評価の仕方は信頼できるものであろう。

 

「日本経済史」担当の横山和輝は、伊藤修の『日本の経済』を簡潔にまとめながらこう評価している。

 

『日本の経済』は経済学の視点で20世紀から21世紀の日本経済を俯瞰した本です。マクロ経済学の枠組みを押さえたうえで、戦後の昭和を中心に、明治から平成に至る日本経済の歴史と現状の両方を一気に学べます。p70

 

これだけの位置づけをされた本が、ハンディな中公新書に含まれるとわかると思わず読んでみたくならないだろうか。

 

関谷英里子はNancy Duanteの『slide:ology』を

 

効果的なプレゼンとスライドの作り方を指南した本。「文字が多くて読み切れない」など陥りがちなミスを排し、世界標準のプレゼン技術を身につけたい人にお薦め。p73

 

としているが、日本中のビジネスパーソンに読ませたい本だとわかる。

 

そして、成毛眞はシリコンバレーの起業家たちが好んで読むSFを読むことの価値を次のようにまとめている。

 

 恋愛小説は半径50cmぐらいの日常を描いているけれど、SFは半径5万劼阿蕕い寮こΔ鯢舛い討い襦そういう宇宙規模の物語を読んでいると、大きく考える力が養われる。それは大人になってから、発想力の差として表れます。p89

 

成毛のSFの選択は、『幼年期の終わり』『アルジャーノンに花束を』のように、古典的なものが多いが、グレッグ・イーガンの『順列都市』とオースン・スコット・ガードの『エンダ―のゲーム』を挙げているのが興味深い。

 

海外に関しても、ビル・ゲイツの120冊すべてがリストアップされる他、マーク・ザッカ―バーグウォーレン・パフェットバラク・オバマラリー・ペイジティム・クックイーロン・マスクジェフ・ベゾスピーター・ティールスティーブ・ジョブズとスーパースター揃いである。


海外篇に関しては分野による縛りがない分、それぞれの個性が顕著に現れていて、隣り合った人物の選書の違いから、発想の違いそのものがくっきりと浮かび上がるのである。

 

マーク・ザッカ―バーグの選んだ本には、モイゼス・ナイム『権力の終焉』ダニン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』があるのはいかにもリバタリアンだし、イーロン・マスクの選書にはトールキンの『指輪物語』や、アイザック・アシモフの『ファウンデーション――銀河帝国衰亡史』が含まれるのはいかにも夢見る少年である。

 

それに対して、ジェフ・ベスのリストに『ビジョナリーカンパニー』『イノベーションのジレンマ』『ブラック・スワン』『日の名残り』などオーソドックスなラインナップが並んでいる。

 

そしてビル・ゲイツの120冊に至っては、ジャンルや好みを超越したオールラウンダーのイメージがある。そのゲイツとバフェットが揃って絶賛している本と言われると、ジョン・ブルックスの『人と企業はどこで間違えるのか?成功と失敗の本質を探る「10の物語」』も思わず手に取ってみたくなる。

 

とは言え、500冊の読んでないものを片端から読もうとするのは賢明でないだろう。その半ばは洋書であるし、入手にとんでもないお金や時間がかかり、厚めの本が多いため相当のスペースを食い、相当な重さになる。

 

だから、解説を流し読みする中で、自分のアンテナにひっかかったものをピックアップしてゆくのが第一のやり方だ。

 

もう一つのやり方は今興味ある分野に重点を置いて、その中でも興味をひく二、三冊をピックアップして読んでゆくやり方だ。そこで興味が深まれば、その分野の他の本に手を伸ばしてもよいし、ここで触れられていない別の本に向かってもよい。

 

さらに、海外篇に限らず、英語の原書のブックガイドが充実しているのが、本書の特徴だ。

 

落合陽一が薦めるJohn Maedaの『THE LAW OF SINPLICITY』は読むと考えが整理され、アイデアが次々に浮かびそうだし、西内啓が薦めるKaren Glanz、Barbara K.RimerK.Viswanathの『Health Behavior』は「健康のために人々の生活習慣をいかに変えるかを科学的に論じた医療者向けの本」というだけに、役に立つ知識満載の観がある。Walter Isaacsonの『Leonardo da Vinci』なんていかにも、ヤマザキマリがそのうち漫画化しそうではないか?

 

それに加えて、全米トップ10大学の課題図書ベスト10は、プラトンの『国家』、アリストテレスの『倫理学』、『政治学』、ホッブスの『リヴァイアサン』、マキャベリの『君主論』などきわめてオーソドックスな古典が並び、こうした本も捨てたものでないなと思い直す。

 

その他の特集記事「ニューエリートの思考法」は基本的に仕事法の紹介、「ニューエリートの習慣」は学習法の紹介で、本文の内容とも関連しているものが多い。たとえば千葉雅也「社会人が変身する勉強術」は、そのままこの雑誌で紹介された本の消化の仕方に応用できるものだろう。

 

  学問を学ぶときは、まずその分野の良質な入門書を見つけて読み、次はその入門書で紹介されている、より本格的な本を読んでいくのが正攻法です。

  その専門領域で、信頼されている本を読むことが大事です。いうなれば、「ソフトな権威主義」ですね(笑)。

  翻って、突然成功したような、よくわからない人の体験談などは、勉強になりません。ぽっと出の人に限って、自分の体験に頼り切って「これが絶対法則だ」とか言いきったりします。とても信頼できるものではない。p170

 

『News Picks Magazine Autumn 2018 vol.2』は、見直すたびに新しい発見があり、次の読書行動に駆り立て、個人の読書の境界線を大きく変えてしまう可能性を持つ最強の読書雑誌である。

 

  Kindle版

 

関連ページ:

NewsPicks Magazine Summer 2018 vol.1

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